対馬丸沈没の悲劇
今からちょうど60年前の1944年8月22日午後10:23、沖縄から多くの学童が乗船した疎開船『対馬丸』が撃沈されたのは、今と同じく台風が迫っている日の夜の事でした。
8月22日に開館したその晩、22:23に船の汽笛が鳴り響き、遺族など参列者(入館者数400人)が黙祷を捧げました。
この対馬丸記念館というのは、遺族にとっては大変に大きな意味のある建物。
なぜなら、1997年に海底870メートルに沈んだ対馬丸の船体を確認できたのにも関わらず、船体を引き揚げて遺骨や遺品を回収したいという遺族の願いは叶えられなかった事と、
そしてまた、沈没から生還した生存者に“沈没した事実さえも長年口封じ(箝口令)させられていた”という、某国政府からの遺族への慰謝事業として、記念館の建設に至ったのです。
そもそも、この学童疎開は、「兵隊への食糧確保の為の口減らし」と「沖縄で思い切った戦闘ができずに足手まといになるから」という戦略的な理由で疎開させられ、775人の子供達を含む1418人もの人々が、犠牲となったのでした……。
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