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2005.05.13

コザ独立国ならではの国民葬

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コザ独立国大統領・てるりんさんこと、照屋林助さんの国民葬が、
“死者を偲ぶ日”の5月12日に、“笑い供養”として行われました。

受付では、香典袋が用意されています。入場券の代わりという、いきなり入り口からこんな様子です。ただし、香典ドロボーにだけは気をつけて……。
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ロビーには、あしびなーに殿堂入りした、照屋林助さんと嘉手苅林昌さんの写真が飾られています。
芸能殿堂入殿式には、故・照屋林助さん自身が照屋林助さん(代理)を表彰するという不思議なシーンも……。

“沖縄市の中にコザ独立国”があるのは“イタリアの中にバチカン市国”があるようなもの。
大統領亡き後、「次期大統領をコンクラーベするとの噂があったが」とは大統領官房の玉城満さん。
沖縄市市長も出席し、一国の大統領を偲んで弔辞という真面目さもまた……。

今まで一般公開されていなかった国歌は初お披露目となり、総理大臣サムライさんからは三星を高々と揚げ“献杯!”。
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照屋政雄さんは和尚の格好で登場し、木魚を叩きながら“音楽経”。
このあと、各大臣から“献唄”“献漫才”“献コント”と続き、この“国”の芸能文化の豊かさを間近にみることができました。
最後はマーニンネーランバンドと共に、林助さんゆかりの唄を合唱で合掌。
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さて、りっくでもこの日の模様を、写真を満載して掲載予定。
レポーターは、コザ独立国の大臣であり、この日の司会を務めた吉沢直美さん。この華やかな“笑い供養”の舞台裏も織り交ぜながら、密着レポートの予定です。

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コメント

てるりん♪には。2000年のお正月に。
新婚旅行で。初めてお会いしました。

風邪をひいてるのに。やさしく迎えていただきました。

とても。悲しくて。いまでも涙が出ます。

でも。国民葬。素敵ですね。

やはり♪てるりん♪です♪

出船の唄でお別れしました♪

ありがとうございます。<(_ _)>

NAO5さん>
こんにちは。
ご夫婦で新婚旅行でのいい思い出をお持ちなのですね。
少しでも国民葬の様子が伝わったでしょうか。
近いうちに、RIKのコンテンツとしてもご紹介予定です。

大統領の番組が決定しました。

照屋林助の生涯
NHK BSハイビジョン特集
唄と笑いで戦った男
“沖縄の巨人”照屋林助の生涯

1月31日(火) 後8:00~9:30
“沖縄の戦後芸能界の巨人”といわれた芸人・照屋林助が平成17年3月、75歳で亡くなった。米国統治下時代に始めた三味線漫談で大スターとなった林助。笑いに飢えていた沖縄の民衆から「てるりん」の愛称で愛された彼は、型破りで奔放なエンターティナーである一方で、日米の国家間で揺れ動く沖縄の社会について思索する「哲学者」であり、沖縄の文化の本質を追い求める「探求者」でもあった。林助の自宅の書斎に遺された膨大な数の歴史書や哲学書、沖縄の各地を放浪しながら収録した素朴な島唄の録音テープ、そして思いのままに綴られた思索メモからは、沖縄の激動の戦後を生き抜きながら、必死に故郷・沖縄の姿を掘り下げ、日本へ広く伝えようと格闘した林助の姿が浮かび上がる。
 6年前に以前からの憧れの地、沖縄へ移住した演出家・宮本亜門さんは、この“沖縄の巨人“と生前に出会えなかったことを惜しみ、林助の75年の軌跡をたどる旅に出た。
 番組では、遺された林助の舞台の映像や生前の林助を知る人々の証言から“巨人・林助”の実像を迫るとともに、日本の今を敏感に感じ取る演出家・宮本亜門さんの眼を通して、沖縄と日本の戦後60年を見つめ直す。

総合テレビでも再放送がある予定です

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