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2005.06.21

禁じられた鎮魂歌

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古謡を歌い継ぐ唄者・朝崎郁恵。戦時中に禁じられた鎮魂歌『嘉義丸のうた』が新譜に収録されたのは、ちょうど戦後60年の節目に重なった。
嘉義丸が、大阪〜奄美〜沖縄へと向かったように、新譜の曲目では、本土の歌(竹田の子守唄もある時期放送禁止歌)〜奄美の島唄〜そして沖縄のあの歌へと繋がってゆく。

あの歌とは、馴染み深い『十九の春』のこと。現在でも作曲者名は不詳ということになっている。この『十九の春』ができた当時は、ラジオで作曲者を探す呼びかけを続けていたらしいが、ついに見つからなかったのだとか。

歴史は、戦時中にまでさかのぼる。昭和18年に、撃沈された貨客船・嘉義丸の生存者を手当てした朝崎郁恵の父・辰恕が、その時に聞き取った証言を元に、鎮魂歌『嘉義丸のうた』を作った。
今でも、カケロマ島の花富の集落のおじいちゃんやおばあちゃんたちは、その事件とその歌を覚えており、その歌う旋律があの『十九の春』によく似ているという。
(『ラッパ節』『与論小唄』も、『十九の春』のルーツといわれる)

当時、朝崎郁恵は8歳。彼女の父親がその事件を風化させないようにと、歌を作って残そうとしたり、青年団を集めては教えたり懸命だったという。その時の歌が、『十九の春』が出来る遙か前、昭和18年作の『嘉義丸のうた』だった。

数え歌で13番。嘉義丸沈没の証言と、その歌のルーツの鍵が、この長い歌の中に刻まれている。

 平成17年6月23日。戦時遭難船舶遺族会の合同慰霊祭で、
 『嘉義丸のうた』を奉納することになりました。
 14時〜15時。那覇市波の上旭ガ丘公園「海鳴りの像」

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コメント

こんにちは
「19の春」ですね、むかし叔父が中之町の飲み屋で「この人があれを作った人」と誰かを紹介してくれた事があります。
その叔父も亡くなってしまって、私には探しようがないのですが。

あれはモーアシビーのように、飲み屋で即興でうたわれた替え歌じゃないかなぁ?と思います。
男女が即興でやりとりしながら歌ってる歌詞ですよね。

pyoさん>
こんばんは。

昨日、偶然にも、
サンデー毎日(2005年6月12号)掲載の
『特別読物・戦後60年 第4回「十九の春」』
を執筆されたノンフィクションライターの川井龍介さんとお会いし、
記事を拝読させて頂きました。

カケロマ島、奄美大島、米国まで行き魚雷を放った米艦まで
徹底取材されたジャーナリストです。
ぜひ機会ありましたら、一読されてみてください。

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