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2005.07.17

知名定繁の歌が刻まれる


いつかは追いつきたい、そう思った時には、もういないんですよね。僕の中では、親父が亡くなっていても彼の歌があそこで止まったわけではなくて、どんどんと成長を続けているんですよ。
と、知名定男さんが父・定繁さんについて語る。

島唄界の巨匠・知名定繁さん作詞作曲の『門たんかー』の歌碑が、7月17日に建立された。

『門たんかー』は親父が最も得意としていたんですが、1番から6番まで出し切るまでの間、節がドラマチックなんですよね。自分もこの歌を得意としていて、歌っていると、彼の声の出し方とか、顔の表情とかそこまで見えてくるように今は感じられるんですよ。
と続く。詳しくは、藝能新聞『ばん』の8月号に掲載予定。さらには、RIKの『歌碑巡り7月号』にもこの新しい歌碑を掲載予定。

台風が近づく中、除幕式は予定通り行われ、その後、知名定繁氏を偲ぶ懇親会が開かれた。会場まで友人だけを見送るつもりだったが、大工哲弘先生と到着が一緒になり、そのまま参加させて頂くことになった。
時間ぎりぎりに到着した為か、大宴会場の300席はあるはずの各テーブル席には空きが無く、招待席くらいしか空いていなかった。一般席に著名な島唄界の皆様が着席されているのに、招待席になんて座れるはずがない。
そこに「ここにお座りなさい」と声をかけてくださったのは、定繁さんのご兄姉にあたる5人姉妹の席だった。先日の歌碑建立基金造成公演では5人姉妹で『浜千鳥』を踊られたあの方々。恐縮するも、「大丈夫よ」と優しくお声をかけてくださり、滅多にない機会なのでお邪魔させて頂くことに。
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隣に座った友人は「これはおばぁちゃんたちからの気持ちだからね」とカメカメ〜の洗礼を受けていた。

定繁さんの写真を眺めながら、一番上のお姉さんが懐かしそうに当時のお話をしてくださった。

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コメント

かめかめ~の洗礼を受けた本人です。たぶん一番上のお姉さんだと思いますが、「別れの煙」や「門たんかー」を舞台と一緒に懐かしそうに口ずさんでいたのが印象的でした。

じみーちゃん>
おつかれさまでした。
午前中のメインイベントの除幕式が終わったので、
午後の宴会には、じみーちゃんだけを送るつもりが、
自分まで入っちゃいました。
おかげで、お姉さんたちの貴重な思い出話や、
口ずさんでいたのを聞くことができてよかったですね。

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