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2005.10.25

都知事殿、ヌチドゥタカラですぞ!

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都知事殿、ヌチドゥタカラですぞ!
今朝の琉球新報をみて仰天したのは、某都知事の次のコトバだった。
「伊江島なんてのは普天間の割と近くで、滑走路が二本もあってほとんど使っていない」と発言。
東京都の横田基地問題の協議が進まないのは、普天間移設問題が片づかないからだとばかりに基地負担をさらに押しつけるような暴言を発し、伊江村や県民のヒンシュクをかった。

ちょうど昨日は、何の因果か、伊江島での取材。沖縄離島情報のライターさんと訪れたのは、それも「ヌチドゥタカラの家」だった。
実に生々しい資料がむき出しで展示されている平和資料館で、
ライターさんはドアを開けるなり、悲鳴を上げ、たじろいだ。

電気も消えた部屋の奥からは、重苦しい空気感が漂い、それがまたなんと凄まじいことか。
“でも、しっかりと伝えなければ”と、僕一人、資料館に足を踏み入れる。
戦争が生んだ狂気の悲劇が、リアルに伝わってくる。頭も肩もどっしり重い。
途中耐えられず、ものの数分も経たないうちに退室。

帰り際、資料館の方に深々と一礼し、この情けなさをわびる。
「でも、現実を直視して、それをしっかりと伝えていかなければならないのですよ」
と、資料館の方が一言。
この資料館を作り、生涯語り継いできた阿波根昌鴻さんは、3年前に他界した。
世代を超え、そう、我々が語り継がなければならない時がとっくに迫ってきているというのに。
そうこうしているうちに、ほら、また彼が新聞を騒がせた。
ヌチドゥタカラ=命こそ宝。戦争のシステムが再起動しないうちに。
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(この『ヌチドゥタカラの家を作った願い』の石碑をご一読ください)

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コメント

KUWAさん、お久しぶりです。
札幌は間もなく雪が降りそうな季節になってきました。

ここ、前々から行ってみたいと思っていました。
本当は阿波根さんがご存命中にぜひと思っていたのですが。

某首相といい、某都知事といい、弱者を顧みない人物をトップに立たせるこの国の人々の選択って、本当に正しいのでしょうか。

普段はおとなしいウチの母が、
他の奥さん達とケンカしてまで
「自分だけでも旅行先を伊江島にする!」と言い張ったのは
あのおじいさんに会う為でした。
私は彼女よりずっと近くに長年住んでいたのに会えませんでした。
いや、会いに行きませんでした。
彼女は今でも会えた事を嬉しそうに話します。
そして私に言います。
「会いたい人にはすぐに会いに行きなさい」
今、急には難しい事かもだけど、
そう思って準備運動しておいたら
「時が来た」ら簡単にダッシュできるのかもしれない。
もう少し身軽にしておこうかな(笑)

都知事さん発言、ひどいですね。自分のことしか考えない人なのでしょうか。

伊江島、いつか行きたいと思っています。
阿波根昌鴻さんを知ったときは、すでに亡くなられたあとでした。もっと早くに知って、お会いできればと大変悔しいです。

日本の政治家たちは沖縄のことを知らなすぎます。
とくに政権与党の人たち。
だから暴言とも言える無責任な発言を平気でするんです。
普天間移設問題でも、「代わりの場所がなければ米軍は移設できないと言っているのだから、移設を望むんだったら海上でもどこでも作ればいい」と自民党の代議士がテレビで言っていました。
情けないですj。

沖縄県の人間になってみて、初めて知りましたよ。
どれほど、沖縄のことが本土に知られていないかを。
(自分もまだまだなにも知らない人なのですが)
とくに、政治家には「知ろうとする態度」が
欠如していると思う。同じ日本なのに。
なんなのよって思う事だらけです。

おじゃまします。
はじめて沖縄に行ったとき
伊江島に立ち寄りました。

行き当たりばったりの旅でしたので
(特に昼間は・・・)
前知識は弾丸で削り取られた
タッチュウのこと位でした。

帰ってきてから
戸井昌造「沖縄読本」や
森口かつ「沖縄 近い昔の旅」などで
戦中戦後の悲惨な歴史を知りました。

特に団結小屋に込められた
傲慢な軍用地接収に抵抗した
島人の結束した行動に
衝撃を受けました。

それは武力による占領に
竹槍で追い返すに等しい
命がけの戦いであったと思います。

この記憶は孫子の代になっても
消えてないはずです。
その島人に対する
無知で無配慮な発言は
誰にも許されないでしょう。

       つのい いちろう


おつかれさまでした>伊江島

わからん人のわからん発言は腹立つだけ損、とおもってますが
日米の協議の行方が気になります…。

追伸

森口かつ「だれも沖縄を知らない」などを
読み返してみると・・・

タッチュウを削ったのは弾丸でなく、
砲弾の方が適当ですね。

それから土地の接収方法も
武力行使そのものだったようですね。

私は「団結小屋」と書きましたが・・・
「アメリカぬ花ん 真謝原ぬ花ん・・・」と
琉歌が書かれた「伊江島土地を守る会」の
建物を指しますが・・・

本によっては、
「団結道場」や
「闘争小屋」とも
書かれていますが
島では何と呼んでいるのでしょうか?

これとは別に「ヌチドゥタカラの家(戦争資料館)」
があって、これには、
「すべて剣をとる者は剣にて滅ぶ・・・」と
書かれているそうですね。

自分の頭の中を整理するために
書いてしまいました。
失礼しました。

          つのい いちろう


またまた、追伸(ごめんなさい)

「戦争資料館」と書いてしまいましたが
「ヌチドゥタカラの家」には
「反戦平和資料館」と書かれた
看板が掲げられているようですね。

これも本によって
戦争とか
平和とか
マチマチですが・・・

そんなことは、どうでもよいことで
島に残され3本の滑走路だけをみても・・・

戦時中、軍が島人の強制労働で
作った旧日本軍用滑走路

戦後、米軍が接収した土地に作った米軍用滑走路

海洋博に向けて開港した伊江島空港の滑走路
(皮肉にも海洋博後に閉港)

大和世、アメリカ世から大和世と
時代に翻弄されっぱなしで
どれも負の遺産、島人の痛みだけが
残されています。

さらに、どんな痛みに耐えろと
言うのでしょうか。

          つのい いちろう

マリ兄さん、KEN子さん、BakuSunさん、
さとこさん、レベッカさん、つのい いちろうさん、pyoさん、
みなさん、コメントありがとうございます。

昨日午後、新たな基地負担が決定してしまいました…。

今朝の新報3面の識者評論のコラムで、琉大教授が、
『島ぐるみ闘争に学べ』にて、
“沖縄の人々は「島ぐるみ」闘争を教訓とする時が来た”と綴っています。

僕は、まだ阿波根さんが生きていると思っています。

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