沖縄の尚家と五島家との関係
琉球からの最後のお姫様と、五島家にご縁があることを知ったのは、ちょうど沖縄に戻ったその翌日の晩のこと。
沖縄を代表する版画家・名嘉ボクネンさんと伊是名島つながりのご一行様が、いつもお世話になっている老舗の窯元で宴会をするということで、僕もお呼ばれした。
そこで、琉大教授の高良倉吉先生とお会いすることに。
なんという不思議な巡り合わせだろうと思ったのは、高良先生からの次のお話を伺った時だった。
「琉球の最後の王・尚泰の四男である尚順の娘さんは、五島列島の五島家に嫁いだんだよ。」
尚順(男爵)といえば、琉球新報の創始者で知られる人物だ。
その尚男爵の娘さんと、五島家の当主との結婚により、
“沖縄と五島に縁が結ばれていた!”
五島から戻ってきて間もなく、またすごいタイミングで、そのような事実を知ることになるなんて!
また、偶然(?!)にも、五島を発つ前の晩に、そのお城(石田城)の写真を撮っていた…。
もうここまでくると、さすがに偶然ではないかも。
今回の沖縄から五島への旅には、たくさんの意味やメッセージが含まれていたように思える。
(五島家はお城(石田城)を寄贈し、現在では歴史資料館や五島高校になっている)
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コメント
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五島日記おもしろいです・・・とてもすてきなところですね!
投稿: 三浦理絵 | 2005.12.29 03:16
五島もまた、美ら島でした。
素朴で美しい風景が、めいっぱい輝いていました。
“この島々に、核の最終処分場を作ってしまっていいのか?”
と、その輝きの中で、訴えていたように思えます。
人間の都合だけで、とりかえしのつかないものを、
それも、何百年先まで影響が出てくるものを、子孫に残していいのか?
被爆県としても考え直して頂きたいです。
投稿: KUWA | 2005.12.29 10:05
最近のKUWAさんはスピリチュアルモードですね〜。縁に強いというか、何というか…この尚家のお話は初耳です!小学校の社会科の授業で琉球王朝の勉強したけど、ここまで細かくは教わった覚えがありません。うーん不思議だ…
投稿: みのりん | 2005.12.30 00:23
“縁”が“円”に。来年もまた、いい広がりを予感させますね。
“沖縄からのメッセージ”を、どんどんアウトプットしてゆきますよ。
ブログ、写真、映像、雑誌、ネット、様々なスタイルで、
幻想や虚像(マスコミイメージ)ではなく、リアルな姿をお届けしてゆきます。
琉球王朝の尚家と五島家とのご縁があったお話には、
ほんとうにビックリしました。琉大・高良先生との出会いに感謝。
投稿: KUWA | 2005.12.30 09:32