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2006.07.30

太陽に虹のリング。大団円

Aguni5sun
粟国で見せた、太陽の驚きの輝き。
太陽の周りに、虹の輪が現れた。

フェリー粟国が出港するとき、
見送りにきていた島のカミンチュが“上を見て!”と天を指した。

最後の最後に、太陽の輝きで、まさに大団円。


これは、日暈(ひがさ)という現象らしく、
「上空1万メーターにある氷の結晶でできた巻層雲に、
 太陽の光が屈折して起こる」と、どこかの記事には載っていた。

上空1万メートルなら、那覇の友人たちも見えているかと思い、
那覇市、沖縄市、久高島に電話してみたが、その現象は見えていないという。

しかも、1万メートル上空にしては、虹の輪が大きい。
みんなのデジカメや使い捨てカメラの標準レンズでは収まらない。
(一眼レフの広角18mmレンズでもはみ出してしまい、
 超広角レンズでやっと収めることができた)

このフェリーに乗船した者・見送る者たちが、
粟国島上空の日暈現象を目撃することができた。

“ありがとう”、粟国島に感謝。
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2006.07.28

鳳凰、空に舞う

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(↑画像クリックで拡大表示できます)

ちょうど、ヤガンウユミの“とぅんまーい”の最中、
空を見上げると、雲の形がはっきりと“鳳凰”にみえた。

友人は、「あけもどろ」と一言つぶやいた。
おもろさうしに出てくる言葉で、“再生”も意味するといい、
それは粟国のユノーシ、渡名喜のシマノーシにも通じ、また、
久高島の祭祀の中で歌われる神歌の中にも出てくるという。

 あきまもどる
  びぃん(鳳凰)のすいぬ
   舞いの美らさ

久高島のイザイホーで使われる大扇の表側に、
そう、太陽と鳳凰が描かれている。

そして、太陽もまた、驚きの輝きを見せた。(続く)

 僕らが今、ここに立ち会わせてもらえていることに感謝。
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2006.07.26

ユノーシ(世直しの義)にふれて

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粟国島最大の祭祀の中で、驚きの発見があった。
久高島・渡名喜・粟国(そして辺野古)の祭祀の中から
そこに共通点があるとしたら、
“赤椀の世直し”があったということ。

粟国への今回の旅で、実際にその“椀”が今も島に存在し、
代々、大切に受け継がれてきていることをこの目で確認できた。

かつて粟国では、ヤガンウユミにも使われていたものだが、
何百年か前の博物館級ものということで、
現在では祭祀には使われず、大事に保管されている。

そしてその椀の名前に驚く。それも『ユノーシ』というのだ。
ユノーシとは“世直しの義”という意味が含まれており、
ここに、王朝時代より以前の、古代の歴史が!

古い神歌の中にだけに残っていただけではなく、
現物を手にとって拝見することができるなんて。
この巡り合わせに感謝。

またさらには、島のカミンチュたちの話し合いにより、
島に受け継がれてきたオモロを公開してもよい、
という許可がこの日だけに降りたという。
それは、はじめてのことらしく、なんと幸運なことだろうか。
この島のオモロ(神歌)、巻物、粟国島由来記を、
直接拝見する機会に恵まれた。
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驚きの展開はまだまだ続く。
とぅんまーいで廻る殿は“五殿(いちとぅん)”と言われ、
東に2つ、西に2つ、浜に1つで、計5カ所だったのが、
島の神人の夢の中で、もう1カ所が“浜”にあるということで、
ようやく昨年、そこの六つめが開かれたという話に、
さらに、まだまだ続きがあった。

実は、七つめの殿が、島の神人の夢の中に現れているという。
“島がひとつになって和合しここを開きなさい”というのが…、
なんと、その殿の名前が、『ユノーシの殿』という。

また、なんという強力な磁石が働いているのだろうか。

このテーマに結びついた3人の島のご老人とは、
意外な場所で巡り会っていた。
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2006.07.24

粟国島『ヤガンウユミ』

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祟り神を鎮魂したことからはじまったといわれるヤガンウユミ。
実際に島に渡り、見聞きしてきてどうだったのか。

祀り1日目、山ン神。
この日は、神人のみしか入場が許されない。

祀り2日目の夕刻、火神ウマチー。
安里先生と同行したおかげで、
その行事を始終拝見させて頂くことができた。
仮に、いくら文献で予習していたとしても、
土地勘もなければ、どこまで許されているものなのか、
まったく手探りの状態だったところを、
ナビゲートして頂くことができ、深く感謝。
(そもそも通常は、神人、ニーブ、ユノーサまでだった)

そして、祀り3日目が、ヤガンウユミ。
午前中の祭事が一通り終わり、
貴重な島の宝を拝見させてもらえることに話が急展開する。
(これについては後日レポート)

午後からは、殿廻い(とぅんまーい)にて、
ある殿(拝所)での祭祀の最中、
強烈な光景を目の当たりにすることになった。

神女がそこの敷地に踏み込んでから、
明らかに高揚しているようで、先ほどよりも緊張感につつまれた。

蝶を媒体とした霊がまいこみ、神女に乗りうつる。
男性口調の琉歌で、一同に見習いの神人を紹介しはじめた。
どうやら、来年からの参加許可が神から降りた様子。
喜びに満ちた感動的なシーンに、こちらも涙しそうになった。

昨年、この同じ殿(とぅん)では、
鳥肌が立つようなシーンもあったという。
長い間眠っていた拝所で、ある神人の夢の中に度々現れた場所。
五殿(いちとぅん)といわれていたが、“六つめ”があったのだ。
(実は、さらにもうひとつあった! これも後日レポート)

そこがようやく開かれたばかりの年だった。
祭祀の最中、ある神女に霊が乗りうつり、
長い髪の毛が逆立ち、男の声で話をしはじめたそうだ。

ヤガンウユミについての一般的な説ではない、
もうひとつの説と深い関わりのある聖地での話。
荒神が登場したシーンだったという。
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2006.07.23

粟国島のイザイホー

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そもそも、この島に渡った最大の目的のひとつは、
粟国最大の伝統祭祀『ヤガンウユミ』を拝見することだった。
ニライカナイより神々を迎えることから“粟国のイザイホー”とも
いわれるようだが、まず主神がなんと“祟り神”であることのほか
そしてこの祭祀の由来を辿ってゆくと、
ほかの祭とは似て非なるものであることがわかる。

文献によれば、その由来は少なくとも4つほどあるようだが、
今回の旅の聞き取りで、もう一つ別の説も伺うことができた。

共通していえることは、そのどれもが“祟り神”を鎮魂するため
に祀ったことにはじまるようだ。
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昔、旧暦6月20日以降に島の北側に行くと、目をくり抜かれたり
鼻が削ぎ落とされたりという不可解な事件が続き、島の役人が
調査し、それが事実であるということが判明。王府に報告した。
荒神に、神酒と干魚(バーイ)を捧げ、島の神人たちと力を合わせ
鎮魂したという。
—————————————————————————————
これが一般的な説。その祟り神とは?
現在は鎮魂の儀式の他、島の平安、島人の健康なども祈願する。

島では今もなお、この祭祀への畏敬の念が強いのには変わりない。
このヤガンウユミについてのレポートは続く。
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2006.07.22

もうひとつの神の島

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“神の島”といえばご存知、久高島。
そして同じく“神の島”といわれるのが、粟国島だ。
東の久高を女島だとしたら、西の粟国は男島。

この島に友人たちと3人で取材旅行へ。
同じ民宿には、粟国を撮り続けて30年になる写真家・安里盛明先生とその写真仲間の皆さんがいらっしゃり、
なんと運が良いことに彼らの車に同行させてもらうことができた。

それも、安里さんのスーパーガイド付きという、
これはかなり幸運な旅の始まりの予感がした。
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2006.07.20

ジャングルに消える

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古宇利島でお世話になったOさん夫妻と友人達と、山原の川に遊びに行った。
密かな“滝があるんだよ”って。この日はOさんが最初のナビゲーターになった。

もうたぶん2度とは辿りつかないかもしれないけど、ピクニックにもってこいの場所だった。
川の水をプールするちょっとしたダムのようなところ。滝のように川の水が流れ落ちてきていて、そこに飛び込む者。滝の水に打たれる者。

さて、その上流が気になる。
Oさんと登ってみると、そこには手つかずの大自然が。あぁ、なんて美しいこと。
“この上流を1時間ほど上がるとさらに自然の滝があるらしいよ”といい残し、彼は先に降りた。
僕はしばらく森林浴。何かに満たされていくような心地よさ。

さすがにその先には行けないと思った。そこに3人組の少年がやってきた。
“ニーニー、こっちの脇から上がると滝があるんだよ”って、こちらからは何も訊ねていないのに案内してくれるという。
次のナビゲーターがやってきたと直感。

案内役の子供たちのおかげで、20〜30分もしないうちに辿り着いた。
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途中、“あっちに洞窟だよ!”とか、少年たちの張り切っていた声も、後半、深い森の中では慎重になってきた。子供たちにも、先ほどとは違う空気感がわかるらしい。
あまり無茶はせず、ほどほどのところで皆で下山。

その間、数十分消えたけれど、僕らには楽しい夏休みのひとときとなった。
ありがとう。少年たち。
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2006.07.18

古宇利島の地図にない場所

古宇利島に入るとすぐに、地元中学生が手作りした地図がある。
よくみると、記載されているのは、遺跡とかグスク、ウタキばかりだ。さすが、人類発祥伝説が残る島だけある。
連休は、この静かな島でのんびりと過ごすことに。

3日目の朝、早めに目が覚め、島を散歩していると、白い鳥が舞い降りてきた。白鷺だ。道先を案内してくれるかのように、僕の先を行く。
白鷺は、一番端の岩のところにとまった。その先に何かあるとでもいうのだろうか。先ほどとは、あきらかに浜の雰囲気が変わってきた。横にはアカウミガメの亡骸が横たわっている。気持ち悪いとか恐いとかではない、何か荘厳な雰囲気がその一帯にはあった。膝まで海に浸かりながら、そこを一歩一歩慎重に歩いた。
Kouri
(↑画像クリックで拡大表示できます)
白鷺がいた岩を曲がると、その先にどうやら拝所らしきものが見えた。一言ことわりを入れながら、少しずつ進む。岩と岩の間にはハシゴが掛かっている。どうやら、海から渡る拝所のようだ。
もちろん、その岩に登ることはご遠慮させて頂く。その前に、これ以上は近づけない。歩いていける距離だが、そういう問題ではなかった。
“写真だけ撮らせてください”とお願いし、何枚か写真に記録させて頂いた。

あとで写真を確認すると、何枚かの写真には、白いオーブのようなものが岩にこびりついていた。
そして、島の聖地が記された地図を確認してみると、その海の拝所は載っていなかった…。そういう場所もあるのだろう。

帰りには、水際で大きなフエフキダイと、陸地では、ヤンバルクイナと出会った。人間だけではなく、彼らもこの島の主なのだ。
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2006.07.15

V字に古代・大又遺跡

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辺野古周辺の伝統的な祭祀の取材の中でわかってきた事としては、
辺野古の基地の中、とくにV字滑走路案が出ている場所には、
かなり貴重な古代遺跡があるということ。

尚家以前にさかのぼる起源の、貴重な歴史の謎が
そこに眠っているのだろうか。

タイムスの記事(2005年10月29日(土) 朝刊 29面)によれば、
大又遺跡のほか、計4箇所もの遺跡が基地内に在るようだ。
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もし、V字滑走路が建設されてしまうと、
永久的にコンクリートに埋め立てられてしまうことになる……。

このままでいいのでしょうか?
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2006.07.13

ノロ・インタビュー

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ある集落のノロ御殿にて。
そこの地域の祭祀を半日ほどかけて見学させて頂いた際、ノロのかたから少しお話を伺うことができた。
ところで、どのようにして、彼女たちはその道に入ってゆくものなのだろうか。
ノロのかたへの初インタビューを一部公開。

H・Mさん:
「子供の頃から身体が弱かった。故郷を離れ那覇の街に住んでいたが、霊能者のかたからは、“自分の村に戻り、あとを継ぎなさい”と言われていた。
わたしは、ごく平凡な暮らしをしたかったので、それを拒み続けていた。
ある日、血圧が上がり倒れ、しばらく入院した。死にかけたことで、再び、相談すると、“どうすればいいのかわかるわね”といわれ、死ぬよりはいいと思い、村に帰ることにした。
すると不思議と身体も元気になり、今に至っている」

C・Mさん:
「わたしは海外で暮らしていたが、しょっちゅう病気をしていた。
やはり、村に帰ってくるように言われていたが、そこでの暮らしから離れるつもりもなく、しばらく拒否していた。
あるきっかけで、思い切って沖縄に戻ってみることになり、このお役目を持つようになってからは、昔のことがうそのように、今はとても健康体となった。何より、村の暮らしが一番いい」
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そして彼女たちの背景には、白い蓮が描かれたあるものが……。
また再び、蓮を巡る旅の続きがはじまることに。(続く)
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2006.07.11

六月ウマチー、その光景

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これは、昨日行われた、ある集落の“六月ウマチー”の光景。

となりの集落から神人を2人迎え、この集落の根神と合流し、
壁に染み出た“長老メー”という神にまずは祈りを捧げた。

集落の神アシャギでは、村の人々が囲み、六月ウマチーの儀式が粛々と執り行われた。
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2006.07.08

台風のおかげで、尚家の宝

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(↑クリックで拡大表示可能)

昨日から宮古島に、birdの宮古島ライブなど1週間近く宮古取材の予定だった。
台風3号さえ来なければ…。

もし宮古に行かなければ、本島で廻っておきたかったイベントや用事は山ほどあった。
7日・国宝 琉球国王尚家関係資料展のプレス向け取材許可日
7日・七夕 birdの那覇ライブ(那覇でもbirdライブが)
8日・ムーンライトコンサート(台風の影響で中止)
8日・那覇の日(パレット前のイベントは中止)
9日・大工哲弘コンサート(あいにく中止)
9日・指笛王国一周年
10日・六月ウマチー(首里と、そして北部へ)
11日・田村邦子コンサート(木内鶴彦, N'jamiほか)
12日・那覇市内で撮影の仕事

特に7日は、国宝 琉球国王尚家関係資料展の開催前日に、プレス向けに、この日だけ特別に撮影許可(照明可)が降りるというもの。

記者会見から参加していたライターさんに全てを託してあったが、ご本人はかなり緊張気味。
思わず、波の上宮にお参りにいったらしい。そこで“三重グスク”というキーワードが浮かび、そこにもお参りに。

結局、僕の宮古行きがなくなり、2人組で取材ができることになった。

尚家のお宝を、すべて写真に記録し、学芸員のかたに説明を伺うことができた。この仕事ができただけでも幸せ。(台風に、ありがとう)

無事取材も終了し、ライターさんは、御礼をしに、三重グスクと波の上宮へ行きたいというので、いっしょにお参りに。
おかげさまで無事終了できたこと、そしてその御礼。
“ありがとうございました”と。

夜には、宮古ライブは中止となったbirdを、那覇では仕事にしないでオフでライブ鑑賞を楽しむことができた。
またこの日のうちに、本島での撮影の仕事依頼が2本も入ってきた。感謝!

そして宮古島には、また機会あらためてぜひ渡りたいので、
宮古とのご縁がつながりますように、どうぞよろしく!
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2006.07.07

渡名喜島のイザイホー

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(↑画像クリックで拡大表示できます)

先日、ある編集会議で、「こんど渡名喜島に渡ります」と言ってみたところ、
新人さんが、「僕も学生の頃行ったことがあるんですよ。
渡名喜のご神事を見学したいと思って。」という。
結局、見せてもらうことができなかったらしいが、
また周辺に“スタッフ”が集まってきたようだ。

その祭りは、別名・渡名喜島のイザイホーとも呼ばれる、
三年まわりで執り行われている島の伝統的な祭祀。
『シマノーシ』と呼ばれるものだった。

あるところを訪ねて、水上運動会のRIK取材を進めていると、
なぜか、後半からはその『シマノーシ』の話題へと切り替わっていった。
そして、翌日の運動会取材のあと、祭祀を取り仕切っているお宅へと直接ご案内して頂けるという。
なんて幸運なこと。そして僕の沖縄取材は続く。
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2006.07.03

渡名喜島の花

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可憐なこの花は、渡名喜村の村花『河原なでしこ』。
沖縄県内で自生しているのは、渡名喜島と久米島。

「かわいい子供の頭をなでるような、慈しみを覚えるところから」
 =“なでしこ”と呼ばれるようになったという、
   秋の七草のひとつ。でも島は夏。

撫子や 堤ともなく 草の原(虚子)
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2006.07.02

渡名喜島へ。

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何かきっかけが無いと渡れない島ってある。
渡名喜も僕にとってはそうだった。ようやくご縁がつながり、島へ。

港には古典『出砂節』の歌碑と、竜宮を祀る拝所が並んでいた。まるで来島する人々を出迎えているようだ。
この歌碑を作った(書いた)書家でもある宮平俊則先生がおっしゃるには、
「渡名喜のすぐ隣にある無人島の入砂島には、イビ(威部)という重要な拝所がある。あの島には、はじめて渡来人が住み着いたという伝説が残っている」とのこと。
その島は現在、米軍の演習地で実弾や模擬弾が容赦なく撃ち込まれているというから、普段は島民も近づけない島だ。
地図上では「入砂(いり)」、古典では「出砂(いじ)」。そして「イビ」。
読みはほぼ同じなのに、''IN''と''OUT''では正反対。

ところで今回の旅も、どの場面でも、スーパーガイドと巡り合わせる。
宮平俊則先生をご紹介してくださった教育委員会のかたとは、離島フェアですでに出会っていた。教育長とは行きの船の中で!

また、渡名喜島の西底原からは、最も古い人骨が発掘され、そこが一番古いのかもしれないと、閉まっていた民俗資料館の鍵をわざわざ開けて頂いた。

そこには、レプリカではない人骨が、静かに横たわっていた。
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