孔子ウマチー、そして、蔡温(SION)
2日前、RIKの特集“歌碑巡り”で『高橋節』をとりあげた。
“泊高橋で恋人がかんざしを落とし、
それを慰めた”というのが、
ごく一般的な解釈として知られている
のだけれど、
実は、時の権力者・蔡温(さいおん)へ向けた
怨念の歌という説も、
実際に2つほど残っている。
さて、この蔡温とは、
いったい、どういう人物なのか?
現在、沖縄本島北部から南部にかけて、
ある文化財を取材し続けているのだけれど、
そこでも、豪腕な政治家としての蔡温の実績を知ることになる。
風水まで(当時の高度な技術でもある)を駆使し、
その優れた技術と頭脳で、徴税のシステムを完成させていった。
実際に、今帰仁文化センターの館長さんとその現場までゆき、
フィールドワークして確認してゆくと、
村の隅々に隠れた荒れ地(を耕作した畑)まで、課税の対象に
していったことに驚かされる。(村社会の制度も巧みに利用した)
帰りに、名護博物館に立ち寄ると、またそこにも蔡温の足跡が。
彼の仕事ぶりが記録された三府龍脉碑記などが展示されていた。
その翌日にはなんと、蔡温が祀られている場所に偶然辿り着く。
那覇市久米では、クーシウマチー(孔子の聖誕祭)が行われ、
多くの華僑の方々が集い、その中にはある県知事候補の姿が。
その彼は、蔡温の末裔なのだという。
そしてその会場となった久米至聖廊には、蔡温が祀られていた。
ここは、道教の神と儒教の神がごっちゃに祀られているところで
もある。 (そして、この巡り合わせに思う)
かつて琉球王府は僧侶・求道長老を派遣した際、中国皇帝から、
「琉球の教育・信仰について、『釈迦』(仏教)、『孔子』(儒教)、
『弥勒』(弥勒信仰)の中から選択するようにと皇帝から言われた。
そして長老は、平和を祈願する『弥勒』の掛け軸を
琉球に持ち帰った」とされる云われがある。
弥勒世果報が訪れるかどうかは、自分たちの選択次第のようだ。
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