宮古の偉人
宮古島に渡る直前に、聖地荒し事件が起こったのは、
王府初公認となった宮古の首長・与那覇勢頭豊見親に
まつわる由緒ある地でのこと。
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1390年宮古島の首長・与那覇勢頭がはじめて琉球国王に朝貢。
当時の王・察度王から、正式に宮古の首長と認められ、
乱世の宮古をどのように救うべきか考え、白川の浜で
七昼夜祈願して拝んだら、めでたく宮古島は平和になった
という伝説が残る実在した英雄。
(RIK『歌碑巡り 第23集』より)
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実際には、言葉が通じずに、
3年もの間、従者に琉球語を学ばせ苦労したという。
遙か海の彼方にある故郷宮古を望んだといわれる高台に、
1767年その末裔たちによって、子孫たちの礼拝の場として、
認定された拝所が、通称・白川神社。
さて、宮古の旅から戻ってきた2日後には、
その末裔のSさんと自分が、偶然知り合うことになるとは…
(YさんやWさんとも)
11/11には、そのメンバーで首里城へのご挨拶となり、
その帰り際、与那覇勢頭豊見親が憤死したといわれる場所に
辿り着くことになる。
文献には、宮古で亡くなったとなっているようだが、
Yさんの霊視によれば、首里ではないかとのこと。
歴史の書が、必ずしも“その通り”とは限らない。
その時代の権力者側の立場で書き残すものだからだ。
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