尚寧王から尚泰王までを支配したもの
尚寧王から最後の王・尚泰まで、歴代の琉球の王が
薩摩から書かされ続けた『起請文』という呪詛によって、
領土だけでなく、精神までを支配したという凄い話です。
その『起請文』に使ったといわれる牛王神符には
『八咫烏(やたがらす)』という霊鳥が描かれており、
神武天皇が東征の際に、熊野の道案内をした三足の烏。
また、時は秀吉の時代。朝鮮侵攻の際、
琉球は朝鮮王朝との友好関係が深かったため、
それに協力しなかったことを言いがかりに、
のちに薩摩藩(島津)は、1609年に琉球を侵略。
ここで熊野権現の“八咫烏”の護符が利用されました。
“沖縄になぜ神社(琉球八社)で、なぜ熊野権現なのか、
そしてそれが何に利用されてきたのか…”
島津は源氏側(曹洞宗)で、平家由来の熊野(真言宗)とは無縁。
つまり薩摩は、琉球の王家が熊野との(紋章も同じ)深い繋がり
があることをよく知っており、熊野権現のその護符に
誓いを立てさせ、呪詛に使い、
その心までをすべて支配したことになります…。
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コメント
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そうなんですか!
“支配下”の琉球・・・。
今も続いているような気がします。。。
投稿: Wレインボウ | 2007.02.10 17:59
>島津は源氏側
島津が源頼朝の隠し子という説は、専門家の間では、以下にありますように、違ってきているようですよ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E4%B9%85
朝鮮半島の新羅国から渡来して来た‘秦’氏の子孫であることが今では有力になっているようです。^^
島津が源氏ですと、第二尚氏と同じルーツとなってしまいます。
今でも、そう判断されていることが多いのは大変なことです。
投稿: 切磋琢磨 | 2008.06.03 04:49
切磋琢磨さん>
書き込みありがとうございます。
秦氏の子孫なのですね。
ちょうど、秦氏にまつわる話を
きのう調べているところでした。
お知らせ頂きありがとうございました。
投稿: KUWA | 2008.06.03 05:32
こんにちは
琉球は平家の子孫だと思っています。
他民族の札が他民族に効くなら、今頃、日本は世界を支配していたでしょうね。
完全同民族と思っています。
また、有名な古い家系の人(ここでは名前を伏せます)から、藤原家は琉球人ってききました。
先に日本全土を支配していたことになりますね。
実際は秀吉に協力しています。
また、琉球に島津が行くきっかけは、琉球による琉球本島以外の島々や日本への侵略が先です。)
琉球による植民地を本島以外の島々の人はいまだにすさまじく恨んでいるのを直に聞いたことがあります。
16世紀後半、豊臣秀吉が明とその進路にある李氏朝鮮を征服しようとし、琉球王国に助勢を命じたが、明の冊封国であったため国王は一旦拒否した。しかし、実際に文禄・慶長の役で日本が朝鮮半島に攻め込んだ時には、琉球は日本軍に食料を提供し、日本軍の兵站の一部を担った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E7%8E%8B%E5%9B%BD
http://www.tokunoshima-yumeshin.or.jp/tokunoshima-rekishi.html
投稿: もんた | 2012.09.25 05:25