« 王家への呪縛 | トップページ | 安富祖貴子のふたつの“魂” »

2007.02.10

尚寧王から尚泰王までを支配したもの

070209
尚寧王から最後の王・尚泰まで、歴代の琉球の王が
薩摩から書かされ続けた『起請文』という呪詛によって、
領土だけでなく、精神までを支配したという凄い話です。

その『起請文』に使ったといわれる牛王神符には
『八咫烏(やたがらす)』という霊鳥が描かれており、
神武天皇が東征の際に、熊野の道案内をした三足の烏。

また、時は秀吉の時代。朝鮮侵攻の際、
琉球は朝鮮王朝との友好関係が深かったため、
それに協力しなかったことを言いがかりに、
のちに薩摩藩(島津)は、1609年に琉球を侵略。

ここで熊野権現の“八咫烏”の護符が利用されました。

“沖縄になぜ神社(琉球八社)で、なぜ熊野権現なのか、
 そしてそれが何に利用されてきたのか…”

島津は源氏側(曹洞宗)で、平家由来の熊野(真言宗)とは無縁。
つまり薩摩は、琉球の王家が熊野との(紋章も同じ)深い繋がり
があることをよく知っており、熊野権現のその護符に
誓いを立てさせ、呪詛に使い、
その心までをすべて支配したことになります…。
……沖縄の人気ブログ

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/10805/13854809

この記事へのトラックバック一覧です: 尚寧王から尚泰王までを支配したもの:

コメント

そうなんですか!
“支配下”の琉球・・・。
今も続いているような気がします。。。

投稿 Wレインボウ | 2007.02.10 17:59

>島津は源氏側

 島津が源頼朝の隠し子という説は、専門家の間では、以下にありますように、違ってきているようですよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E6%B4%A5%E5%BF%A0%E4%B9%85

 朝鮮半島の新羅国から渡来して来た‘秦’氏の子孫であることが今では有力になっているようです。^^

 島津が源氏ですと、第二尚氏と同じルーツとなってしまいます。

 今でも、そう判断されていることが多いのは大変なことです。

投稿 切磋琢磨 | 2008.06.03 04:49

切磋琢磨さん>
書き込みありがとうございます。

秦氏の子孫なのですね。
ちょうど、秦氏にまつわる話を
きのう調べているところでした。
お知らせ頂きありがとうございました。

投稿 KUWA | 2008.06.03 05:32

コメントを書く




コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。