王家への呪縛
以前、なぜ沖縄に神社があるのか?
なぜ、琉球八社は熊野権現なのか?
それを知りたい、と思いはじめてから1年程経つ。
(また、どうしてそんなことを知りたいのだろう?)
自分の出身である五島は、壇ノ浦の合戦のあと
平家盛(平清盛の弟)が渡ってきて代々島を治めてきた
という伝承が残る島。
また、奄美・沖縄にも平家の者たちが渡ってきたとも。
源為朝の息子と云われる舜天王は、実は平資盛だった
のではないかという説も。
(資盛の兄は、平清盛の嫡孫の平維盛)
平資盛については、奄美の喜界島に流れ着いたという
伝説もある。
何より、平家由来は熊野、ということに注目。
その時代、熊野から南方捕陀落浄土を目指し
琉球に流れ着いたのが禅鑑和尚で、
英祖王が手厚く保護し、浦添に極楽寺を建立したと云われる。
琉球の王家と熊野権現との関わりはその頃からか。
熊野三山の神社紋は、どこがどう偶然なのか
琉球王家・尚家の紋章と同じというところにも注目したい。
さて一方、1609年に琉球へ侵攻した薩摩の島津家は、源氏。
なのに、琉球侵略の際、尚寧王に書かせた『起請文』は
平家に縁のある熊野三山(三神)のシンボルが描かれた護符を
あえて使い、それに呪詛をかけた。
最後の王・尚泰の即位の頃まで、
熊野の護符の上に『起請文』を書かせ続けたという。
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(参考文献:『起請文』の呪縛を解け)
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コメント
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なかなか、興味深い事実ですネ!
>熊野三山の神社紋は、どこがどう偶然なのか
>琉球王家・尚家の紋章と同じというところにも注目したい。
そうなんですか・・・・
紋章が・・・・
投稿: 琉球弧風来坊・風人 | 2007.02.09 11:31