沖縄愛楽園に橋をかけるもの
先日取材を通してはじめて沖縄愛楽園を訪れることができた。
今回のインタビュー取材がきっかけで、ようやく訪問させて
頂けることに。“そんな遠い場所では無いはずなのに”
インタビュー中、何度も「見えたり聞こえたりはしないが
神様に助けられて生きてきた」と繰り返すほどの壮絶な人生。
前に向かって生をまっとうしようという意識(魂)には、
かならず大きな力(意志)が後押ししてくれる。
「だから“生きて”“命を粗末にしないで”というのが
言いたくて。それが私のメッセージなんです」
そんな大切なメッセージのひとつひとつを聞き終えたあと、
ご一緒に園内をご案内して頂けることに。
教会、学校跡、防空壕跡、堕胎した赤ちゃんたちを埋めた浜、
声なき子供たちの碑、園が発祥した場所(洞窟)、
小さいころ遊んだ場所、先輩達が恋をした場所、
施設を逃げ出した時の想い出の場所、などなど。
驚いたのは、声なき子供達の碑、納骨堂、園発祥の洞窟の
大切な場所の上に、古宇利島の大橋を作ろうとしていた
ことがあったという……。その理由は、
「低コスト(最短距離)で橋を架けることができるからと」……。
その心なきエピソードのひとつからでも、
どれだけ、虐げられてきたのかが垣間見えてくる。
愛楽園に、コンクリートの橋でなく、
本当の橋“心の架け橋”をかけるもの
それはこのメッセンジャー、金城幸子さんに違いない。
金城さんの言葉を大事に記事にして皆さんにお届けしたい。
そう思っています。
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コメント
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教員生活の第一歩が、瀬戸内海にある長島愛生園でした。
まだ、「橋」などカケラもなかった頃。
教えられたことは、数え切れません。
愛楽園も、長い間訪れていません。
行ってみたくなりました・・・
投稿: びん | 2007.05.20 13:00
びんさん>
先日はお会いすることができず、
いつかお会いできることをまた次回の楽しみにしております。
またその時にでも積もりに積もったいろいろなお話や意見を
ぜひ交換させて頂けましたらと思います。
愛楽園のほうにもぜひまた訪れてみてください。
明日、明後日と2日連載で、金城幸子さんのインタビュー記事を
『ryuQ』に掲載予定ですので、どうぞご覧ください。
投稿: KUWA | 2007.05.23 11:52
ごていねいに、ありがとうございます。
こちらこそ楽しみにしています!
投稿: びん | 2007.05.24 22:17