地域の子どもたちが主体となった現代版組踊『肝高の阿麻和利』の脚本・演出を手掛ける平田大一(小浜島出身)は、詩人としては『ミルクムナリ』(歌・日出克)の作詞者としても知られる。そんな彼が、活動の原点ともいえる南方詩人舞台を14年ぶりに開催することになった。
これまでは、子どもたちの為の舞台公演だったりとそれが彼らの通常の活動だったのに対して、平田大一の14年ぶりのひとり舞台はまったくそれらとは異質のものらしい。
関係者に舞台稽古の様子を伺うと「かなり神経を集中して取り組んでいますよ。それはまるで神掛かったようです。当日は舞台も暗い中で行われますのでどうぞお楽しみに」という言葉に期待を膨らませながら、そしてその日を迎えた。
舞台は二部構成で、そのうちの第一部が南島詩人・平田大一の一人舞台。題して『南島奇譚の夜』。島で夜な夜な語られる不思議話、全6話。薄暗い舞台の中に一人立つ。
この第一部については、撮影は一切禁止。すべて、ほぼ一人で一時間近くも詩を朗読したり、歌や笛、三線を演奏するわけだから当然、それだけ舞台での集中力が必要とされるのだろう。照明も必要以上には明るくなく、装飾も実にシンプルだ。そこに平田大一は体ひとつで、いや魂ひとつで舞台を作りあげてゆく。
皆さんには今回写真画像はなくお見せできなくて残念だけど、その現場を例えて表現するなら、どこかの島の秘祭に紛れ込んだかのようにも思えた。
秘めた祀り事は、シマの外には非公開。どうしてもそれに触れてみたいなら、その現場に足を運ぶしかない。
彼は現代の感覚で薄れゆく“畏れ敬う”ということを、秘祭にある“畏怖”についても表現したかったようだ。
14年ぶりの舞台は、いろんな意味でそういう貴重な表現の場となった。
それに比べて、第二部『南人、今を綴る・平和の詩』は開放された感じがした。ここでは一人ではなく、平田大一と関わりのある舞台チームや団体と一緒にコラボレーション。
題名のとおり、舞台を通して“戦争”というものの悲しさと“平和”の大切さを表現してゆく。
八重山の戦争体験を綴った『ヨーンの道』を中村初子さん(沖縄可否の会)が語り部として舞台に上がり、戦争は離島にも影響を及ぼしたことを語った。
この日、奇しくも8月6日。「命」の貴さを考えさせられる日に、余分な演出は一切無く、ただ真実のみが深く胸に響いてきた。
そこにはいつものような躍動感あるアクションはなく、ただ座って語っているというのに、静かながらもひたひたと迫り来る言霊があった。
「そう、なので僕は、参加する子ども達に“200人の舞台でも1人の舞台でも同じ”なんだ。“数に頼るな”“わいわいとした雰囲気に溺れるな”と言っているんです。
大体、戦争なんていうのは、わいわいとした雰囲気の中から発生してゆきますからね。
“ぴとぅる ぴき むーる ぴき”
(一人を引けば、みんなも引かれてゆく)
その中にいても冷静な目を持つことが重要だと思っているんです。
答えは誰かに導かれるのではなく、
答えは常に自分の中で、自問自答することなのではないかなって」
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