宿道、最後の一般公開
ガソリン高の影響か以前より車で出掛ける機会が減ってきた。
それでもたまには目的のないドライブもいい。
途中、久しぶりに金武大川に行きたくなった。
こんな暑い日だからこそ、清らかな湧き水が気持ちいい。
すぐ裏には拝所もあり、ここは聖地でもある。聖水だ。
心地よくリセットさせてもらった御礼の言葉に
そのまま喜びの気持ちを込めてみた。
すると不思議なもので、帰ろうとしたら、
「宿道」(すくみち)というキーワードが目に入ってきた。
気になってその町の教育委員会に問い合わせてみたところ、
“今日が宿道の最後の一般公開の日なんです”とのこと。
しかも一般公開は3日間のみ。これはどういうこと?
このタイミング、やっぱり行くべき。
大体こういう時の直感は感度良く冴えてくる。
導かれるように、いや、自分の気持ち(魂)が求めるままに
現場に辿りつくと、琉球王朝時代の貴重な“道”の遺跡
があった。しかし、この3日間の一般公開日を最後に、
ダム建設の為、遺跡が埋め立てられてしまうのだと。
“またSOSだ!”
(SOSといえば那覇空港拡張問題が今日のタイムス朝刊に)
もし先に国指定の文化財に指定されていたならば、
貴重な文化財がとり壊されずにすんだのだろうに…。
私たちの日々の選択は間違っていないのだろうか。
自問自答の日々でもある。
こんな言葉を耳にしたことは無いだろうか。
「沖縄は、島全体が聖地のような大切な場所だ。」
島そのものが宝だというそんな黄金言葉を
できれば忘れずにいたいと思う。
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コメント
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我輩が住んでいる島でも神の通る道が壊されている。個人がしている事なのでどうしようもないのだ。
一個人の責任です。
市町村、県、国がしたらこの国は滅びるような気がします。
投稿: ahhaha | 2008.07.14 22:17
ahhaha船長
そうですよね。
そもそも“国”というのは“民”ではないのかな、
と、いつもそう思っています。(王ではない)
“民”の“意”の無いところにはなりませんように。
投稿: KUWA | 2008.07.17 09:53