琉球と五島に「宝舟」を渡す
琉球と五島の御縁をつなげたい。願えば、叶うもので、
琉球の尚家のかたと五島で出会ったのは約1年半前。
それも第35代 五島家当主だった。尚家のかたが五島家に!
その翌年、やんばる出身で五島在住の新垣優子さんと出会う。
彼女は、第34代当主のもとへ尚家から嫁いだ最後のお姫様と
いわれた方と、五島邸でお会いしたことがあるという。
しかし嫁いだ先の五島家第34代当主(盛輝氏)は、
原爆で被爆してしまい、五島には戻って来られたものの、
妻や家族の看病の甲斐なく、若くして亡くなられた。
ここにも、原爆の被害者が……。
当主亡き後、戦後60年間たったひとりで五島家を守って
きた彼女も90歳を越え、そして寝たきりになっていた。
そこに、故郷沖縄の歌を謡う人と出会った。
しばらく帰っていない故郷の歌を、一緒に歌ったり。
人見知りだったその方も次第に心が解け合っていった。
「そのかたの誕生日の日には、紅型を着て伺うと
寝たきりだった彼女も口紅をつけて、
そして一緒に故郷の歌を謡ったりしましたね。
故郷の歌の力は凄いと思う。」
と、当時のエピソードをそう語った優子さん。
琉球王家出身のその方や、新垣優子さんは五島へ。
そして、五島出身の僕は、琉球の地にいる。
少しでも何かの架け橋役になれば、と。
今朝の夢は、中世の時代に五島と琉球の架け橋役
を担っていた頃に遡る。
夢の中で僕は、琉球に「宝刀」を運んでいた。
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コメント
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ハイサイ。こんにちは~
初めまして。うこんと言います。よろしくお願いします。
さて私の母親も五島奈留島の出身です。
名前も新垣です、何か優子さんの歌声聴いてみたくなりました。
今後ともよろしくです~(笑顔)
投稿: うこん | 2008.08.13 16:53