琉球八社・沖宮の根元
様々な出来事がリンクし続けている。先日の話の続きで、
ちょうど、雑誌うるまの原稿(那覇大綱挽)締切日の当日、
那覇大綱挽とゆかりのある場所をフィールドワークする事に。
戦前の那覇の中心地だった昔の道を追うように歩き続けた。
その起点に、もとの沖宮(沖権現)の場所・沖之寺跡が。
沖権現は、戦争で焼失してしまったが、
宮司さんに「沖宮を復興せよ」と神託があったといい、
そして今現在、琉球八社の沖宮は奥武山に移っている。
戦前までは通堂にあったのだ。(お寺の臨海寺は曙へ)
今でもひっそりと倉庫のような場所の中に佇んでいた。
エイサーの始祖・袋中上人も琉球神道記の中で、沖宮の事を
「熊野神と見へたり、(中略) この社じつに貴ぶべし」と
書かれている。
そして、袋中上人の桂林寺があった方面に向かう途中、
かつて那覇大綱挽(四町綱)が行われていた場所に辿りついた。
『月刊うるま12月号』に、今回執筆した那覇大綱挽記事が
掲載されます。発売日は12月3日です。(よろしく)
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