« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008.10.29

琉球八社・沖宮の根元

様々な出来事がリンクし続けている。先日の話の続きで、
ちょうど、雑誌うるまの原稿(那覇大綱挽)締切日の当日、
那覇大綱挽とゆかりのある場所をフィールドワークする事に。
戦前の那覇の中心地だった昔の道を追うように歩き続けた。

その起点に、もとの沖宮(沖権現)の場所・沖之寺跡が。
沖権現は、戦争で焼失してしまったが、
宮司さんに「沖宮を復興せよ」と神託があったといい、
そして今現在、琉球八社の沖宮は奥武山に移っている。
戦前までは通堂にあったのだ。(お寺の臨海寺は曙へ)
今でもひっそりと倉庫のような場所の中に佇んでいた。
081029blog1
エイサーの始祖・袋中上人も琉球神道記の中で、沖宮の事を
「熊野神と見へたり、(中略) この社じつに貴ぶべし」と
書かれている。

そして、袋中上人の桂林寺があった方面に向かう途中、
かつて那覇大綱挽(四町綱)が行われていた場所に辿りついた。
081029blog2
『月刊うるま12月号』に、今回執筆した那覇大綱挽記事が
掲載されます。発売日は12月3日です。(よろしく)

  ……そして、沖縄からの微熱な人気ブログ

2008.10.23

かなたではなくて「みなもと」

081023kuwa
先日の日記の続き。
那覇大綱挽のこと、ryuQに書いて終わりではないみたい。

大綱挽のキーパーソンと出会った際に、
「話を伺いなさい」と心の声はしていたのだけど、
いよいよその機会が巡ってきた。
急きょ追加取材が実現し、雑誌にも掲載することに発展。

その人物は、大綱復活の年から関わられているかたで、
今年で、綱のトップを引退する。
「たとえ転勤になっても大綱挽の時は帰ってきなさい」
と叔父との約束を現在まで固く守り続けてきたという。

その叔父というのが、那覇大綱挽の復興に尽力を注いだ
初代の保存会会長の事だった。
その魂を受け継いでいらっしゃるのですね…。

そして、なんという御縁と巡り合わせなのでしょう。
2年前に“本来の大綱挽のことをしっかりお伝えしたい”
と誓いのような願いが、強力に結びつき、叶う。

「願い(にがい)が叶い(かない)」は、かなたではなくて
 いつもここにある。にらいかないは「みなもと」

WEBマガジン「ryuQ」の編集後記より


 ……そして、沖縄からの微熱な人気ブログ

2008.10.17

ほんとうのちから。那覇大綱挽の巻

081017blog1
なにか“関心”を持つと、それに呼び寄せられるように
鍵となる人と巡りあったり、大きなヒントが降りてきたり、
とモノ凄い磁力で引き寄せられ続けている今日この頃です。

先日の那覇大綱挽の時もそうでした。
2年ほど前から、“ちゃんと那覇大綱挽を伝えたい”と
心に思っていると、いろいろなタイミングが重なってゆき、
そして今年、それを実行する年(結び)になりました。

まず、偶然ふらりと立ち寄った那覇市歴史博物館で
『那覇大綱挽と10・10空襲』展を急きょ取材させて頂き、
学芸員のかたに詳しくお話を伺うことができました。

写真撮影のほうも、ご縁で知り合った写真家HK先生から
お誘い頂いて、久茂地交差点にあるビルの上からの撮影が
叶いました。お陰様で絶好のアングルからの撮影を達成。

さらにはその現場に、大綱挽の復活の年から関わられて
おられる親方のご親族と巡り会い、後日親方ともお会いし
来年はさらに続きの撮影を出来そうなお計らいを頂ける
様なお話まで頂戴しました。なんという幸運なのでしょう。
081017blog2

それもこれも、ただ“無心”になって取り組んでいた事。
“ご縁のある沖縄のために”“この情報が誰かのために”と
無心となって自我が消えてしまっている時に、す〜っと、
見えないチカラを頂くことがよくあります。

けれどそれは、自分個人の能力をはるかに超えたもので、
ぼく個人のものではない。
だからどんどん開放してゆきます。
すると次から次へと大回転してゆくようになるんですね。

それにはまず無心になってみることも必要なようです。

不思議な話かもしれませんが、
すべては自然な流れにまかせています。

p.s.
今日の記事は、『ほんとうの那覇大綱挽』です。
よろしければ、どうぞご一読ください。(KUWA)
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2328349.html

 ……そして、沖縄からの微熱な人気ブログ

2008.10.14

メッセンジャー大城友弥

大城友弥
大城友弥君のブログにこんな応援コメントが書かれていた。
「僕が友弥くんを応援するのは、友弥くんがメッセンジャー
だと思うから。感謝を忘れた世の中をもっとハッピーに」

今の時代に、彼のメッセージのこもった歌と
心の澄んだ綺麗な歌声に、そして明るいキャラクターに、
どれだけの人が励まされているのだろう。

最新のシングルは『それゆけハッピーマン』。
まだ高校3年生の彼が、食育をテーマに歌う。

地元の校長先生から依頼を受けて、小学生たちが作詞し、
友弥君が歌う。地元PRの地元特産野菜の応援歌で、
キッズソングだ。

「自分にできること(歌)で地元に貢献できることって
本当にありがたいことだなぁって、感謝しています。」
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2325864.html
(自分が高校の頃、感謝の言葉が素直に言えただろうか…)

僕も御縁で、セカンドシングル『きみのみかた』の
ジャケット写真をご提供させて頂いたことがある。
次回は、宮古島のクイチャーフェスティバルで
また再会することになるのだろう。

※今夜21:00から、日本テレビで
『誰も知らない泣ける歌』が放送され、
大城友弥君も出演します!
(司会:西田敏行+くりぃーむしちゅーの上田晋也、
 ゲスト:戸田恵子・速水もこみち・おぎやはぎ、他)

 ……そして、沖縄からの微熱な人気ブログ

2008.10.10

メッセンジャー比嘉淳子

081010blog_book
『御願ハンドブック』の著者として知られる比嘉淳子さんが
最新刊『沖縄 暮らしのしきたり読本(御願・行事 編)』を出版。

前作は、ふだん実践されているかた向けの[実用書]でしたが、
今作は、ヒヌカンのことをよく知らない世代から、
県内に限定せず全国のかた向けに、沖縄の御願やその心得など
根本のことについて書き綴った[基本編]だそうです。

スピリチュアルブームの今だからこそ、
そもそもの御拝の[基本]のことって何だろう? と、
比嘉淳子さんに直接いろいろと語って頂きました。

「最近では街中に監視カメラあっておかしいですよね?
昔なら、悪いことを叱る大人たちの目があったり、
“おてんとう様が見ているよ!ご先祖様が見ているよ!”
という意識の元、道徳的な善悪の判断ができたものでした。
今は、“見えなければ、悪い事でもやってしまう”から
陰でイジメがあったり、ありえなかった犯罪があったり。
怖いものを知らない人たちが増えてきたのかなと思います」

昔からの言葉で“神畏りーしぇー物習ぬ元”という黄金言葉
がなぜあるのか、その意味を説いて頂いたり。

旧暦のリズムと自然や人が一体となっていることや、
あの世とこの世、ヒヌカンのことなどまで、
くわしく、そしてそれをわかりやすくお話いただいたり。

生きた言霊集をお届けします。

第1話「原点にヒント。そして良心を育むこと」編(10/9(木)掲載)
第2話「旧暦と、あの世とこの世」編(10/10(金)掲載)
第3話「火ノ神(ヒヌカン)」編(10/11(土)掲載)

 ……沖縄のキセキな人気ブログ

2008.10.08

夢の続きは、それを叶えること [実践編]

Kuicha_dentou2
先日書いた夢日記のその晩、大城友弥君のインタビュー。
そこでプロデュースした下地暁さんとお会いした際、
「以前は大城友弥のCDジャケットの写真ありがとう。
今年のクイチャーフェスティバルの写真も撮りに来ない?」
と、2年前にクイフェスで友弥君を撮ったのが始まりだった。

「今朝夢で“宮古の祭の写真をアイランダーに出しなさい”
と告げられたんですよね」と伝えると、2人は確信した。

そういえば“アイランダーアーティスト”とも称される彼、
「それ、俺の事じゃない?」と下地暁さん。おぉっ来た!


後日、『アイランダー』にも出展している離島雑誌の編集長
にも打診してみると「クイチャーフェスティバル取材の件、
OKよろしく!」と、返答を頂いた。

“2つのアイランダー”に、宮古の祭の写真が渡る事に。
(これで、夢の通りになってきましたね)


 夢のお告げも変わっていたけど、

“夢は願うものでなく(自らが)叶えるもの”という
 実践編。そしてその記録です。

 ……そして、沖縄からの微熱な人気ブログ

2008.10.04

琉神マブヤーと夢の話

本日朝6:45から初放送の『琉神マブヤー』を見る為、早寝。
すると、また長編でリアルな夢を見た。

「こんど宮古島に行った際に写す祭の写真を、
『アイランダー』に出しなさい」と、夢の中で告げられた。

アイランダーって? どうやら島フェスらしいけど、
僕は行った事も無い。さらにその夢の続きは?
夢は長編なのに、断片的にしか覚えていないけど、
うちの親父と島の教会に行くシーンを覚えている。

親父から、
「この祈祷文を読みなさい」と渡された文章は、
二行ほどだったけど、難解で、そして神聖な言葉だった。
(ここで夢から醒める。朝6時頃だった)

081004blog_2
先日、『琉神マブヤー』を取材することになったのだけど、
またいろんなタイミングが重なって巡ってきた案件だった。
その取材前日、さらにタイミングよくHさんから電話が来た。
「それから、『琉神マブヤー』もよろしくね」って。
別件の電話であったはずなのに、ところでなんでHさんが?

「実は、エンディング曲の作詞のほか、監修のお手伝いも
していてね。ただのヒーロー戦隊ものとは違うのよ。
沖縄の教えがマブイストーンに込められたものになるのよ」
との事。あぁ、そうだったのか。(どおりでこのタイミング)

翌日、プロデューサーに。そしてロケ現場にも伺い、
監督や主役はもちろん、悪役にまでお話を伺った。
「何が悪で何が善なのか?」とまずそう答えたのは
なんと、主役のマブヤーだった。
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2314422.html
(続きは、ryuQのインタビュー記事にて『琉神マブヤー』)

 ……そして、沖縄からの微熱な人気ブログ

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

今日は何の日

ライセンス

写真詩集を出版しました。

2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ