かなたではなくて「みなもと」
先日の日記の続き。
那覇大綱挽のこと、ryuQに書いて終わりではないみたい。
大綱挽のキーパーソンと出会った際に、
「話を伺いなさい」と心の声はしていたのだけど、
いよいよその機会が巡ってきた。
急きょ追加取材が実現し、雑誌にも掲載することに発展。
その人物は、大綱復活の年から関わられているかたで、
今年で、綱のトップを引退する。
「たとえ転勤になっても大綱挽の時は帰ってきなさい」
と叔父との約束を現在まで固く守り続けてきたという。
その叔父というのが、那覇大綱挽の復興に尽力を注いだ
初代の保存会会長の事だった。
その魂を受け継いでいらっしゃるのですね…。
そして、なんという御縁と巡り合わせなのでしょう。
2年前に“本来の大綱挽のことをしっかりお伝えしたい”
と誓いのような願いが、強力に結びつき、叶う。
「願い(にがい)が叶い(かない)」は、かなたではなくて
いつもここにある。にらいかないは「みなもと」
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