2008年をしめくくる尚徳王からの言葉
首里王府公式行事・若水取りに公式記録係として今年も参加。
「今年は、国(の管理団体)のほうから、
首里城の王に納めるところまで撮ってほしいといわれている
ので、中に入るのは、御水を献上する方と君だけだが宜しく
頼む」という今までにないご依頼を受けていたのです。
例年だと、正殿の入口に納めるシーンで儀式は終了するのが
今年はさらにその先の一般には“見えない”場面までを記録
するという、またこれまでにない初めてのオーダーでした。
“首里の王に納める!”一段と緊張感のあるお役目を頂き、
無事、納めさせて頂くことができました!
すべて行事が完了し、しばらくは安堵感に浸りつつ、
そのあとはプライベートで個人的に参拝して廻りました。
先日、天球美江さん達と辺戸にお参りした際に、Pさんに
「辺戸の御水を首里につないで」と告げられていたので
付き添うことにしていたのです。
表の龍樋、裏の寒川、そして先の首里城正殿の王の所と、
この3点から、弁財天(君真物)の龍潭へと、
流れをつないだように感じた瞬間でした。
その晩、天球さんにお電話した際に、
幾度となく“和合”というキーワードを話されていたので、
「そういえば、第一尚氏王統と第二尚氏王統の
和合の意味を込めて、今回は、第一尚氏・尚巴志の
ジャンパーをあえて着用して首里城に行きました。」
というお話をしていたのでした。
すると今日、天球さんのお弟子さんの南星さんから、
「尚徳王様から御礼のメッセージが届いていますよ」
と告げられたのでした。
ちょうど今朝、知人からも“尚徳王”の話を聞かされた
ばかり。この尚徳王とはどの王統の何代目だったかを
調べてみると、なんと、
第一尚氏王統の最後の王で、同じ首里城でクーデターを
金丸(のちの第二尚氏王統・尚円王)に起こされたとも
いわれる因縁をもつ王でした。
その尚徳王からのメッセージ。
「礼を申す。そなたたちと会えたこと、光栄ぞ」とは、
“和合”がとれたからこそ、頂けた言葉なのでしょう。
感慨深いものがありました。
本日、12月30日に、
2008年を締め括る言葉になりました。
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