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2009.01.27

桃山晴衣を偲ぶ会

1996年にはじめてインターネットの世界に可能性を感じた
のは、世界に流通させられる媒体を自ら配信出来る事に
深く感動したものでした。

例えば自分が作りたい雑誌媒体を自分のホームページで実現
することが出来、それも既存の流通にしばられず、
全世界に発信できるという事にとても興奮したものでした。
(勘定抜きで純粋に紹介したいものを配信できる素晴らしさ)

そこで、高校生の頃から憧れていた日本人アーティストを
紹介するホームページを作って世界に紹介してみようと、
銅鐸やサヌカイト(音色の出る石)や縄文式土器で演奏する
世界的打楽器奏者・土取利行、三味線奏者・桃山晴衣の
立光学舎にコンタクトをとったものでした。

当時はピーターブルック国際劇団の音楽監督をされていたり
と日本に根を張りながら世界的にも活躍されていた方々で、
自分がこれから作りたいWEB媒体の件をきっかけに
もしも知り合う事ができたらなんて素敵な事だろうと、
そうやって行動してみたのが全ての始まりでした。
http://www.iconogrove.com/RyukoGakusha/rg.html

あの時、窓口となって頂いた方が桃山晴衣さんで、
「そのHPを作る前にまず日本の民俗学を学びなさい」
とお会いした初日に柳田國男を薦めて下さった方でした。
まちがいなく、あれがあったからこそ、今の僕がいる。
あれから12年の月日が経ちますが、久しぶりの便りで
まさか訃報が届くとは…。

「桃山春衣を偲ぶ会、1月24日、東京にて。」
(参加者:土取利行、五木寛之、谷川健一、松岡正剛ほか)
080124momo
今僕は沖縄に住み、その日に東京には行けそうにはないと
思っていた所、不思議とその週に関東へと行けることに。

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2009.01.20

2/1デビュー予定

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2/1デビューに向けて着々と準備を進めているところ。
それは何っていうと、とうとうビデオカメラもやることに。

2年ほど前から、知り合いの園長先生より、
園の行事を撮ってほしいとリクエストを頂きつつ、
ジャンルが違うかなと遠慮していたのだけど、
「あんたならビデオも撮れるはずだ」と駆り出されながら
“これも流れかな”と、流れに逆らわずトライすることに。

そしてこれが撮影はもちろん、編集とか結構面白い。

といいつつも、ビデオカメラは持っていないから
業務用カメラをカメラワールドさんからお借りしながら
ぼちぼちとやりはじめたところ、じわじわと伝播していって
今度は別の学校からもお声が掛かったり。

だからもうそろそろ機材のほうも一式揃えようかと、
中古のビデオカメラと大容量バッテリーなどヤフオクで。
ステレオマイクはAmazonで。三脚も今までカメラ用のもの
を無理矢理流用してきたけどビデオ用の油圧式のものを
価格ドットcomで。島に住んでいても道具は揃う。

今年からはこのカメラで、エイサーとか地域の行事などの
ドキュメンタリーを記録保存していきたいなと思う。
なので身体が2つほしいところ。(そして時間との闘い?)
司令塔の心はひとつで、実働部隊の肉体はいくつもあると
便利だなって思う。
そうやって天から使われているのが人間なのかな?

まるで分身でもいるかのように、あちこち出没することに
なりそうな2009年。(もういくつ寝ると旧正月です。)

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2009.01.17

Coccoドキュメンタリー映画『大丈夫であるように』

今日は、阪神大震災から14年目、
泡瀬干潟埋め立てから2日目の朝になる。
そして、泡瀬干潟が埋め立てられはじめた日に書いた記事は、
Coccoの映画のことだった…


孤高のシンガー・Cocco。彼女のドキュメンタリーを映画監督の是枝裕和が撮ることになったきっかけは、'07年7月7日に“地球を救おう”をテーマにした世界規模イベント『ライブ・アース』(提唱者は環境ドキュメンタリー映画『不都合な真実』のアル・ゴア元米副大統領/世界7大陸で150人ものトップアーティストが参加した)で、Coccoが辺野古に帰ってきたジュゴンの親子ことを語り、歌った姿に、心打たれたことがきっかけだったという。

ドキュメンタリー映画は、Coccoの歌の旅。アルバム『きらきら』の全国ツアーのこと。そしてそれは舞台裏よりもさらに背景まで追い続けた。そこに密着していくことになった是枝監督は、カメラを回しながら何度も泣いたという。だからか、カメラが時折ぶれる。徹底して最初から最後までカメラを固定せず手持ちで撮影した映像は、生々しく、心を揺さぶった…
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2399337.html
(Cocco映画『大丈夫であるように』ryuQ特集記事はこちら)


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2009.01.15

温故知新とシマとの対話・第II章

090115blog
きのうから、光画文化研究所の今年の写真講座が始まり、
そこでまたまたビンゴでその前日と同じキーワードの
“温故知新”
という言葉が書かれていました。

温故知新といえば、昨日のryuQでもご紹介した伊是名村の
『史劇・尚円王』のこと。
伊是名村役場の前担当者の方が、
「手作りで生まれた新しい文化だと思っていて、
伝統の古謡『ティルクグチ』以来に生まれたもの」
と語った言葉が、とても印象に残っています。
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2397932.html
(高良倉吉先生(琉大)、名嘉睦稔氏、下山久氏(ACO沖縄)、
 王府おもろ継承者の安仁屋先生、伊是名村長ほか
 による座談会を様子を、記事でご紹介しました)
090115blog2

それからもうひとつ、ニュースです。
南島詩人・平田大一が綴る言葉と、奇跡の1枚写真
によるコラボ、『シマとの対話・第II章』が、
本日より再開しました!(毎月15日更新予定です)
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2398654.html
(皆さま、大変お待たせしました!)

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2009.01.13

長い連休から

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連休最終日にようやくすべてが結び終わりました。

まずは、お水取り行事の写真をようやく納め終わったほか、
最初のお役目だった三姉妹から、今後を繋ぐ為に
首里のSさんにバトンタッチできたし、
これで一連のお水取りにまつわる諸々が完了。

離島情報誌『島へ。』で過疎の島についての原稿では、
ぜひ取り上げたかった島と、その現状、だけどそこにも
わずかでも希望の光を感じてもらえたらと、
記事制作に魂削りました。

そしてもうひとつは、ナビィさんに賀状(写真)を手渡しに。
故郷の土産のついでに渡した、元旦のご来光の写真
涙うるうるして頂いて、「安座真港に飾らせて」、
「そしてみなさんにこの光の写真をぜひ見せたいの」、
とおっしゃって頂きました。

お言葉は嬉しいのですが、安座真港なので久高島の写真の
ほうが良いのでは、とも思ったのですが、
「このご来光が、南城市で撮影されたものなのだから。
それもこの写真に写っている場所、意味があるのよ」と。

実はその写真を含め、何枚かをセレクトしなければ
ならない宿題もあったのですが、突然“彼女に見せよ”
と、心に響いてくるものがあり、唐突ではありましたが
思い切ってナビイさんにも全部見て頂きました。
「それらの写真、それぞれが意味のある場所で、
意味のあるタイミングで撮影した写真なのですが、
ぜひ多くの皆さんにみて頂きたいと思っていて、
これからそのアクションを起こすのですが、
ここから2枚に絞りたいんです」と、
伝えるべき事をお話させて頂いたところ、

「“温故知新”という言葉がおりてきたわ」
と、彼女が手にしていたのがクイチャーの写真。
ナビィさん、そうなんですよ! そのクイチャー写真は
“温故知新”をテーマに、宮古の宝を掘り下げている
『クイチャーフェスティバル』の様子を撮ったもの
でした。

「そして、そのルーツをよく見つめることよ。
でもね、どれを取り上げて皆さんに見て頂きたいかは
本当はあなたの中で響いてくるものがあるはずよ」と。

そう、大事な事を忘れていました。
どれもが皆さんにぜひ見てもらいたい写真なのに、
自分で選ぶ時の基準が、構図とか技術の事ばかり。

それよりも先に、本当に意識しなければならないのは
“何の為に見てもらいたいのか”、
“誰に向けて、なぜそれを表現しているのか”という、
肝心なことをまず念頭に置かなければいけなかった事
に、それに気づかせて頂きました。(大変感謝です)


 いつも原点を見つめる事。新しいもの(未来)は、
 ひょいとは生えてこないから。

 でも根元とは過去にとらわれる事ではなく、
 今の瞬間を大切にすることから気づくもの。

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2009.01.10

今年の目標を宣言すると(覚悟がついてくる)

090110blog
年のはじめに、1年の目標を立てたりしますよね。
仕事始め日、ryuQの目指す今年の方針が発表されました。
その目標が大きければ大きいほど、自分に出来るだろうかと
たじろいでしまう事もあるかもしれませんが、
むしろ自分に与えられた使命を腹に決め自らに宣言(=覚悟)
する事で、本当に物事が大きく動いていく事を実体験する
というエピソードがありました。

まるで、ドラマのような展開に、
オーナーからも「KUWA君、これは必然的タイミングだよ」
と、流れが来ていることを確かに実感しています。
そのいい波を、どう乗りこなすのかが、こちらの勝負。

外の誰か、と競い合う勝負という意味ではなくて、
内にある自分、の覚悟を貫いた先にあるもの。

年のはじめによく神社などにお参りしたりしますが、
神様に他力本願するのではなく、おみくじに託すではなくて、
本当は自分に誓う(覚悟する)機会なのかもしれませんね。

巡ってくるタイミングを、単なる偶然と思い過ごさず、
ドリーム・キャッチャーでいこうと思います。

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2009.01.05

「南洋群島」展で、山神・猿田彦に出会う

090105
今日から、仕事始めでしたね。
きのうお正月休みの最終日に、
沖縄県立博物館・美術館「南洋群島」展のチケットが
たまたま当選したので、ふらりと行ってみたんですが、
南洋のエキゾチックな美術品が並ぶなか、
まさか、“猿田彦”とご対面することになるとは
思ってもみませんでした。(杉浦佐助の作品『山神』のこと)

なぜ驚くのかというと、
ちょうどその前日(鬼餅の日)に、三姉妹のひとりから、
「“猿田彦”とつながりがあり、“山”のことを指す」
と告げられていた
んです。そのすぐ翌日に、
“猿田彦”“山神”に出会うんだから、驚いてしまいます。
(それも、まったく関係なさそうな意外な場所で)

人の頭ではとても計り知れないところに、
大いなる計画がすでに用意されているかのような、
理屈ではない、人智を超えたもの(力)があるようです。
そしてその波に2009年も乗っていきますよ。

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2009.01.03

鬼餅の日。弁ケ嶽で

今日は、鬼餅(ムーチー)の日。
鬼ケ島へ遠征したという(因縁のある)尚徳王と縁のある地で、
Sさんらが“尚徳王の存在を感じる”という安謝の場所へと
一人お参りに行きました。(若水奉納の際に現れたという王)
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午後は弁ケ嶽へ。“三姉妹”たちと合流してご一緒する事に。
“三姉妹”といえば、神代に三人姉妹の女神がいて、
姉の一人が弁ケ嶽に住んでいたという伝説があります。

“なるほど!”

と合点したのは、そういえば今日、“三姉妹”の一人に、
「Pさん、あなたを守護している方は弁ケ嶽おられますよ」
と告げられていたのが、今ようやくわかるような気がします。

弁ケ嶽のご神体があるほうへと、
鳥が歩いて案内したのにも驚きでした。
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参拝をはじめると、風が優しく吹いてきました。
“あっ、来た!”そう感じられる瞬間です。

この日に“御水取り”関連を全部納めて完了するつもりが、
今年のしごとはじめだった事に気が付きます。

まだまだおわらないストーリーが、2009年スタートです。

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2009.01.01

2009初日の出、ご来光

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謹賀新年、今年もどうぞよろしくお願いします。
「子年は予告編、丑年は本編ですよ」と告げられた2009年が
いよいよ幕開けです。覚悟の年ですね。

元日の朝は、いつもの自然浜で静かに迎えます。
毎年同じ場所に行きますが、毎回曇っていてとてもご来光は
拝めそうには無いんです。
「出てきてください」って願っても都合良くは出てこないし、
ただ待っていても出てこなかったりします。

日の出時間が過ぎても、太陽は分厚い雲に隠れていままなので
大半の人は帰ってしまいます。

でも、「出てきてください」と勝手をいうよりも、
まず感謝を伝えることが大事なようで、
こちらから、感謝の何か(気持ち)を具体的に示すことで、
空の表情も変わっていったりします。不思議ですよね。

僕は毎年、その同じ場所に来ていますが、
今年は、たまたま舞踏家のTさんや神人のAさんたちと
日時と場所が合い、ばったり居合わせました。

最初のうちはただ眺めていただけですが、
そのあとみんなで地球に感謝と癒しを実際に行動した直後、
写真のような空模様へと、みるみる変わっていきました。

2009年元旦のご来光の瞬間です。
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【バックナンバー】
・2006元旦の奇跡の出会い:
 →2006/01/post_0699.html
・2007元旦の奇跡の出会い:
 →2007/01/post_fdfb.html
・2008元旦の奇跡の再会:
 →2008/01/post_6883.html
・2009元旦のご来光:
 →2009/01/2009-49e2.html

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