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2009.05.30

宮古島の神歌・古謡[東京公演]へ。

宮古の池間島A船長から電話が連絡が入ったのは約一カ月前。
「宮古の神歌が7/18に東京で公演するから宜しく」という。

ちょうど僕はその日、同窓会が行われるので東京に居る!
「それはなんという必然!なおさら宜しく頼む」とのこと。

またしてもタイミング。さっそく取材を申し込んでみたい。
1年前には宮古の神歌CDを記事で取り上げてみた事もある。
…すると、その時の取材窓口Yさんからも連絡が!
「主催者から資料が届いています。東京公演、行けるかな」と
の事。そこで僕も東京で取材してみようと思っていたところだ
と告げると、Yさんが主催社の担当者に繋いでくれた!感謝!

今朝みた夢は、まさにこの「宮古の神歌」東京公演の事。
じつにはっきりとした夢だった。

目覚めて朝刊を眺めると、その関連記事が掲載されていた!
宮古島の神歌

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2009.05.26

ミラクル1/4

土曜日に観た映画のこと。

思えば不思議な御縁で、
'07年に山元加津子さんの詩『宇宙(そら)の約束』に出逢う

'08年には御縁が巡ってきてなんとその映画『宇宙の約束』の
 サントラCDのデザインを担当することになったり。

・上映は本土のほうだったので、いつか沖縄でも観たいと思い
 そんな話をしていたのですが、そしたら思いがけず、
 その時がやってきました!想いは通じるもの。巡り巡って、
 今年'09年、その第一作目の映画『1/4の奇跡』から観る
 ことができました!(開催してくださった皆さんに感謝です)

映画は、養護学校の先生である山元加津子さんと子供達との
ドキュメンタリーなのですが、まさかこのフィルムの中で
宇宙の仕組みを垣間見る事ができるだなんて、
それは期待以上の記録映画でした。

090526blog

またちょうどこの日の朝ドラの中では、小さな子供の台詞で
「“またあとでね”って無いんだよ。さよならだよ」。
 と、タイミング“時”についての言葉。

そして、その前の日に読んでいた本の中でも、
「子供は魂だった記憶があり、考えた事がすぐ現実化する体験
をまだ持っているので、“ちょっと後でね”と言うと葛藤が
起きてしまい、溜まっていきます。この葛藤を手放すこと」
と書かれていたのですが。

“ちょっと待ってね”は何も子供に限らず、
成人でもきっと同じ。

その“時”とは“訪れたな”と感じる時が“タイミング”だから、
それを後回しにすると、機は流れ去ってしまう。

だから、目の前に訪れる“機”(いい事も悪い事でも)を、
真っ向から受け取ることなんだな、って感じた日でした。

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2009.05.23

波の上宮から始まり「天と逢い、宙に還る」

石川酒造玉友甕仕込
琉球ガラスの“銀河”は伊勢神宮にも奉献されたもので、
35年古酒のボトルでは末広がりの意匠となり、未来永劫に
繁栄を願ったもの。そのボトルの上にのる球体は、地球を
表しているのだという。

「天と逢い、宙(そら)に還る」と謳う、
石川酒造の秘蔵35年古酒『玉友 甕仕込』は本日発売。

今回、この限定200本のみ蔵出しされた古酒の取材を
コーディネートしてくださった広告代理店(久米1丁目)も、
同日カフェの取材先となった場所(久米2丁目)も、
そのあとの波の上祭関連イベントの取材(若狭1丁目)も、
全部、波の上宮の近所で、しかも同日にいっぺんにやって
きた。

波の上宮付近の地域おこしの取材をきっかけに、
あの周辺の磁力に、見事に引き付けられたかのよう。
御縁の引き合う力というのは凄いものですね。

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2009.05.20

ゲンちゃんの「あなたにありがとう」


ハートフル・メッセンジャーのゲンちゃんこと、
鉢嶺元治さんに取材でお話を伺う機会があり、
インタビューを進めているうちに、またまた深〜い話に
展開していきました! そして聞いてください。ゲンちゃんの
「あなたにありがとう」。
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2492058.html
(※とくにインタビュー[後編]は注目です)

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2009.05.14

八十八霊場・石手寺

石手寺
今回の旅の目的はお遍路ではなかったのだけど、伊予国・愛媛
といえばお遍路の四国八十八霊場のうち一番多く在るという。
その中で最も有名なのが石手寺。この寺には云い伝えがある。

あの弘法大師・空海を追い払い、托鉢の鉢を割ったという
豪農・衛門三郎は、その後、彼の8人の子供が一人ずつ亡く
なっていったという。ついに彼の枕元に弘法大師が現れた。
彼は後悔し、弘法大師に懺悔しようと四国八十八箇所巡礼の
後を追いかけたが20回巡礼を重ねても出会えず病に倒れた。
死期が迫りつつある頃に弘法大師に会え、ようやく詫びる事
ができ彼は息を引き取った。弘法大師は石に言葉を書いた。
「衛門三郎再来」。そしてその石を彼の手に握らせた。
その翌年に、領主の家に子供が生まれたのだが、左手の拳を
握ったまま開かない。僧侶の祈祷によってその手を開くと、
石が握られていたという。その石には衛門三郎という字が…

気になって、その寺はどこに在るのか、人に尋ねてみると、
「ご宿泊されている場所からすぐ歩いて行けますよ」と
言われた。旅もいよいよ終盤にまたなんという巡り合わせ
なのだろう。

しかし八十八霊場の途中51番目にあたり、しかも最重要な
寺院。なんの準備もせず、こんな途中から八十八霊場巡り
にピンポイントで立ち寄ってしまってもいいのだろうかと
思いつつも、これも何かのご縁!と思い、訪れてみることに。
(※しかもその伝説が、四国お遍路の始まりと云われている)
衛門三郎
重要文化財となっている本堂の裏手には、弘法大師が籠もった
という洞窟が。洞窟の構造そのものが曼陀羅を意味しており、
さらには一番驚いたのは、八十八箇所の霊場をすべて巡るのと
同等の意味を持つのだという!(これはもう行くしかない)

 暗闇は苦手なものだけど、恐れず、一歩踏み出し、
 “道”をくぐり抜けてみよう。
 その先に、明るく陽が照らす出口があるはずだから。


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2009.05.12

ルーツをたずねる自分旅

090511a
今治城を背景に天高く連なっていった“継ぎ獅子”は、
その源流である伊勢の太神楽の二継ぎよりも高く、
三継ぎ、四継ぎ、さらには五継ぎまでと、
“少しでも天に近づきたい”と高くなっていったそうです。

市内29神社のうち、五継ぎは2団体のみ。そのひとつを
絶好のタイミングとロケーションの今治城で拝見する事が
でき、もう感激です。五継ぎに上がる子供達のスナップを
撮っていると、音楽家・近藤等則さんが居合わせました。
(また、なんというタイミングでしょうね)
090511b

そのあと、日本3大潮流の来島海峡を潮流体験。
船で向かう途中、思いがけず、最強・村上水軍
[中世〜明治維新(長州藩船手組)まで、海賊にて豪族]
の本拠地の島を通ったのですが、ここの海域を守った要塞
とは、この激流のことだったのですね。
090511c
伊予の国・東予地方の旧桑村郡(の西条市桑村)は、
この島々と継ぎ獅子が盛んな今治市のすぐ隣にありました。

実は、KUWA家のご先祖のルーツは四国では?ともいわれ、
伊予国(愛媛)、讃岐国(香川)、阿波国(徳島)、土佐国(高知)
にも同じ苗字が居るようで、同名の地名まで残っている
のは、うち1県。それが、今回航空券を頂戴してまで行く事
になった
伊予の国・愛媛の旅だったのです。(つづく)

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2009.05.10

いざ、四国へ。

先日、「(四国某県の)交通課の者ですが…」という留守電が
入っていました。
チケット当選四国から何故?と思いつつ、連絡を取ってみると、四国と沖縄を結ぶ直行便就航を記念して、航空券が当選していたんです! それも有効期限が9月までこちらで自由に旅程を組めるといいます。

せっかく頂いた御縁。さっそくに旅程を組み、
GW期間中ではありましたが、ありがたくも四国の旅へ。
四国へ

四国といえば、お遍路さんで有名ですが、
今回の旅の目的はお遍路さんではありません。
たまたま決まった温泉宿のすぐ隣りには、
古来からの神社(伊佐爾波神社)があるというので、
そこでご挨拶をさせて頂く予定でした。

宿に着く前に昔懐かしの古い街並みが残る町を観光に行けば、
駐車場の隣りのお寺に、大きな涅槃像が横たわっていました。
まさか涅槃像があるとは。まったく予想外のご対面でしたが、
ここで四国との御縁を頂いた事への御礼のお参りとご挨拶を。
涅槃像

夜は、古代からの老舗温泉へ。
その歴史は神話の世界からです。

「大国主命神と少彦名命神が出雲から伊予へと旅の途中、
少彦名命が病に倒れ、この温泉で回復し大変喜ばれ、
石の上で踊ったといわれています」
本館の左側には、その“玉の石”が祀られていました。
玉の石

また温泉本館には、皇族も来湯されたとのことで、
その特別室を見学させてもらうと、三種の神器が。
それはさすがにレプリカではありましたが、
とても雰囲気ある温泉で、重要文化財にもなっています。
映画『千と千尋の神隠し』に出てくる温泉(油屋)の
モデルにもなったそうですよ。
油屋のモデルとなった温泉

近くには、紀元前に景行天皇なども来られたという
伊佐爾波神社があり、神紋は“三つ巴”でした。
祭神には応神天皇のほか、三柱姫大神には、
市杵島姫(いちきしまひめ)が…。(つづく)

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2009.05.08

永久保存版:宮城初枝の黄金言葉

いつも絶好のタイミングで取材案件を受けたりするもので、
それはまた自分に与えられた“タイミングでもあるはず”と
受け止めながら取材現場に伺うと、本当にそうだったり!

今回は、75歳でまだまだ現役の女性起業家への取材から、
先達の言葉に、生き様に、学びがたくさんありました。

1万字を超えた前回の記事。そこに収まりきれなかった
未発表原稿が、あと7千字も残っています。
その1行1行が、僕には“黄金言葉”に思えました。

※未発表部分を余すこと無く、黄金言葉の記事として掲載!
→ http://ryuqspecial.ti-da.net/y0508
宮城初枝
【第1集】目次:
人生を切り開くのは自分自身しかいない
社会は生き物ですからね。
 世の中、毎日が同じだったりはしませんよ
生きることは、
 “夢のあること”“楽しむこと”“学ぶこと”
癌に打ち勝ったのは、お年寄り達との約束を果たすため
今この時代に、人間磨き。
 人間が持つべき“心”を忘れたらだめ
 (※※※本日午前9時に掲載※※※)

【第2集】目次:
男として女としてではなく、
 “人間としてどう働くべきか”
仕事をやるのは人間だからね。
 仕事をやる人間そのものがちゃんと出来ていないと、
 その会社は繁栄しない
“企業は人なり”。人間の生き方が仕事にも反映される
モチベーションが上がるとか下がるとか?
何か物事にぶつかっても逃げない。
 あなたもきっと乗り越えられるからね
“不安”という言葉に不安になっているよ
立ち上がる喜びがあるのよ
 近日掲載予定


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2009.05.02

ピンチをチャンスに変える人

ピンチをチャンスに変える
“ピンチの時こそ、チャンスに変えよう!”という言葉。
いいスローガンだけど、ではどうしたらいいのか、
具体的な話はあまりよく知らない。

ピンチをチャンスに変えるって相当の努力とエネルギーが
必要だろうし、そこに転換するためにはこれまでの発想には
無い視点(ポイント)、そして行動力が、というふうに
言葉を並べる事は簡単なんだけど、では具体的にはどうする。

小2の頃から、大変な困難をいくつも乗り越え、
たくましく生き抜いてきた一人の糸満女性がいる。
親に捨てられ/戦争/戦後の大不況/買ったばかりの
お店が火事で全焼/再建/おばあたちとの約束を守る為、
60歳を越えてから新しく福祉事業を興し/その途中、癌に
冒されながらも夢をあきらめず/難病の癌も克服/
73歳、74歳の時にも次々と新たに挑戦していった先達は、
「これが人生。辛ければ辛いほど、夢は大きく広がるの」

少々の困難でも、すぐ心が折れそうになってしまう現代は
“人間力”が弱まってきているのではないかと問う。
「年齢でいうと後期高齢者? 人生に定年は無いのよ」
「100年に一度の不況? それは大袈裟な言葉ですよ」

目の前の困難に、恐怖に怯えず、自分の道に降りかかる課題
だと思って、躊躇せず、もう一歩踏み出すことだという。

それを避けようとまわり道をすると、人生遠回りしたり。

また本当に困難な時こそ、神の存在を何度も感じたという。
「一生懸命生きている人のことを神様はちゃんと見ていて、
いよいよもう…いうところで、手をさしのべてくれる時が
何度もあった。あぁ、私は生かされているんだなって」

一生懸命生きるというのは、彼女の場合は自分の為だけに
必死に頑張ったのでは無いらしい。
自分の事はいつも2の次、3の次で、みんなの為にと
働いていていると、不思議と自分の力だけではなく、
加護されていく事に気づいていったという。

いい事でも、悪いことでも、自分に巡ってきた必要な機会、
そのどちらもが“チャンス”。すべてがタイミングなんだ。

だから“困難こそチャンス”というんだね。

あなたに出会えて良かった。宮城初枝さん、ありがとう。
http://ryuqspecial.ti-da.net/e2477793.html
(ryuQ特集 :『宮城初枝物語』より)

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