3日籠もる
外には一歩も出ず、もう3日も経ちました。
ずっと籠もって行者の如く執筆していました。そして脱稿!
先月、約2週間にわたって沿岸線429kmに及ぶ上五島を
ぐるっとまわってきました。入り組んだリアス式海岸の
湾岸線をまるで全てなぞるかのように廻り、
「こんなに深い浦々にまで集落と教会があるなんて」と
驚いたものでした。250年も続いた弾圧と迫害から逃れ、
また大村藩からの移住政策で渡ってきたキリシタンが
信仰を隠すため潜伏して暮らすには、荒地を開拓するしか
なく、僻地に小さな集落ができていった事が伺われます。
五島各地で行われた弾圧がどれくらいのものだったのか、
自分の手元には聞き取り調査した手記(40年前に出版)
があるのですが、それは壮絶なものです。
1868年、五島久賀島では、わずか6坪の小屋に200人の
キリシタンが詰め込まれ(その惨状はここには書けません)
8カ月もの間に42名が死亡。
五島各地で起きた残酷な事件が海外まで伝わり、
外交によって、日本の禁教令が解かれていくきっかけ
の一つになりました。(この事件から5年後の1872年に)
1877年には、フランスから派遣されてきた宣教師が
各地へ渡り、キリシタンの暮らす各集落に教会が
建てられていきます。
上五島(中通島・若松島・頭ケ島)だけで29もの教会
が現在も信仰の場としてあるのは、そのような歴史が
背景にあります。
五島の教会はその地域のご先祖方が苦労して作って残
してきた信仰の証。それがシンボル化したものでした。
(→つづく/取材記事の番外編が始まりました)
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