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2010.07.26

10/2決まりました!

朗読セッションin洞窟カフェ『シマとの対話』(朗読Live)
が、10/2(土)pm7:00より開演決定になりました!!!
ぜひ、ガンガラーの谷・ケイブカフェへ遊びにお越し下さい。

そして今日は、“13人のグランドマザー”の
クララさんとの出逢いがきっかけで発足したという
『第2回うちなーおばあ、ガイヤの会』
があり、
ゲストで招かれた神人の宮里聡さんから
『シマとの対話』の表紙にもなった聖地の
本当の正式名称を聞かされ、大変驚きました。
ぜひ、10/2の朗読Liveで発表したいと思っています。

満月の夜に、時が満ちました。

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2010.07.21

自分をプレゼンテーション?

昨日は、劇作家・平田オリザさんの3時間もの濃厚な講演と、
名嘉ボクネンさんの新店舗のオープニングパーティーに出席。
第1線でご活躍される方々はやはり並はずれた才能が
光っていますね。とてもいい影響を受けてきました。

ボクネンさんの宴の途中に掛かってきた一本の電話は、
宜野湾のCOTONOHA art space+cafeさんから。
「こんど、20秒×20枚のスライドでプレゼンテーション
するという世界的イベント
を沖縄でも初めてやることに
なりました」との事で取材依頼かな?と思っていたら…

「プレゼンテーターとしてKUWAさん出ませんか?」
という出演依頼で仰天!

これは、2003年に東京ではじまったもので、
様々なジャンルのクリエイターが集まって、
自分の経験やプロジェクトをユニークな形で、各々の
アイデアなど自由な思いを発表するものだといいます。
現在、321もの都市で開催されているそうです。

やったこともない課題にまた挑戦する?
大変なのは目に見えているけど、
この巡ってきた機会をチャンスとして
前向きにチャレンジしてみたいと思っています。

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2010.07.20

有希くんの墨絵との出逢いから

今年に入ってから、御縁あって、
ひとつの家族の姿をずっと取材し続けています。

ダウン症の障害を持ちながら、個性豊かな水墨画を
描き続けている古波津有希君。そしてその活動を一生懸命
に支えているのが、お母さんの智恵美さん。

有希くんが3歳の時に、お父さんが他界してしまい、
女手一つで、まだ小さな4人の子供たちを育て上げました。
有希くんも今年で14歳。ダウン症のため、自分の名前を
書くこともできないどころか言うことさえできない少年が、
エネルギッシュに墨絵で表現しているのはとても感動的です。
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何年か前に、ある取材先のオフィスの応接間に、
インパクトのある墨絵に衝撃を受けた記憶があったの
ですが、誰が描いた作品なのかは知りませんでした。

地元出版社からの依頼で、初めて有希くんのおうちに訪問
した際、あの時の水墨画と再会したのでした!
御縁があったのですね。

お母さんの智恵美さんも、
「一冊目の本の前書きは、五島にルーツを持つ方に
書いてもらっていたんです。御縁が引き寄せたのですね」
とのことでした。

有希くんはカメラを向けられるのが苦手なようなので、
訪問初回の時は、カメラはまったく出さずに、
まずはコミュニケーションすることから始めました。
2回目からコミュニケーションをとりながら
カメラを出してみますがまだまだ撮らせてもらえません。
3回目の訪問時くらいにはやっと距離感が縮まって、
カメラに向かって満面の笑みを向けてくれました。
100720kuwa
「有希がカメラに向かってこんなに微笑む事なんてないよ」とお母さん。
もしかしたら、カメラに対してじゃなくて、
レンズの向こうの人に微笑んでくれたのかもしれませんね。
どうもありがとう。

※7月27日(火)〜8月2日(月)
 パレット久茂地7F美術サロンで
 古波津有希くんの個展が開催されます。
 必見ですよ。

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2010.07.17

夢日記

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夢の記憶…、古墳のような丘に迷いこんだ。

そこには、少年少女合唱隊のような格好をした小学生たち
と引率している教師らしき人物がいた。

丘には、十字架のお墓もいくつかあったので、
おそらくはカトリック教会の方々なのだろう。
ということは、教師のようなかたは神父さんかな。
「よかったら、またあとでお立ち寄りください。」
と声をかけられ、再びそこに立ち寄らせて頂くことに。

教会らしきゴシック風建築物のなかに入ると、
そこは落ちつきのある雰囲気に満ちあふれていた。

さきほどの子供たちと、大人は神父さんのほかに
もうひと組…。よく見ると、
「皇T子ご夫妻だ!」

プライベートの時間だったようで、
とてもリラックスされている様子。
神父と静かに語り合っていた。

突然、居合わせてしまった自分。
その語り合いのなかに、交ぜてもらい、
キリスト教についての話をしていたかと思う。

すぐちかくには、i子さんがいた。
i子さんに、何かプレゼントしたいと思い、
ポケットから出てきたのは、オルゴールだった。
ピアノの音を自分でサンプリングしたもの。
その小さな木箱を差し出した。

そこで夢は覚めたが、
夢のなかはすべてがとても鮮明だった。

皇Sのかたがなぜ教会に?
まるで、『天皇のロザリオ』の続編のような
生でタブーを見たかのようなリアルな光景だった。
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2010.07.07

龍馬の黒幕

龍馬ブームに沸いている。自分も龍馬の人柄は好きだけど、
「土佐の下級武士で、脱藩者が、なぜこんなにも活躍できるのか?」と大河ドラマ『龍馬伝』を観て、ふと疑問が沸き起こった。

脱藩者だから、藩の後ろ盾なんていうものは無い。
龍馬の人柄、仁徳だけであの時代を動かせるのだろうか?
日本の歴史を動かす人物に、後ろ盾がないなんて?!
(たとえば勝海舟とか?)

後ろ盾はあった。
長崎の観光名所にもなっているグラバー邸の主、T・グラバー。

しかし、グラバーが日本に来た時はまだ21歳の若さで
龍馬と出会ったのはそれから3年後の若干24歳。
こんな若者が日本を揺るがすような暗躍ができるのか?
若いグラバーは貿易会社の代理人にすぎなかったはずなのに?
代理人という事は、ではその会社はどこが運営していたのか?
Jマセ●ン商会って?(前身は東インド会社)

グラバーは武器商人でもあり、仕入れた武器は、
龍馬を使って幕府側と反幕府側の両方に売っていた。
グラバーは武器を売って儲かる事だけが目的なのか?

最大の目的は、旧体制(幕府)を倒すこと?!
でも異国の若者が何の為に?
では、グラバーに武器を降ろしていた死の商人とは?

グラバーを含め、Jマ●ソン商会の血縁をみると、
ロス●ャイルド家とつながる。なるほど、グラバー園内には
あのシンボルマークが…。
(ご興味のあるかたはぜひ調べてみてください)

ではロス●ャイルドとは何者か? 世界の金融の仕組みを
作った
資産家で、彼が関わったといわれる世界を革命する
計画書25項目のひとつがこちら。

「自ら戦争を誘発し、敵対するどちらの側にも領土の獲得
が生じないように主導しなければならない。戦争は敵対する
双方の国家がさらに負債を抱えこみ、我々の代理人の手中に
落ちるように主導されなければならない。」(第11項)

なるほど、明治維新のしっくりこないところも、
そして龍馬の死の真相が謎なのも、そういうことなのか?!

「財を活用して、我々の要求に素直に従い、ゲームの駒
となって政府を陰で操るために我々から命じられた人物
を選ばなければならない。」(第12項)

龍馬の情熱は利用されて激動の時代でスパイ活動をし、
そして消されて、真相は封じられ、
現代まで美化されてきたのだろうか。
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2010.07.06

ダライラマの誕生日に想う

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今日7/6は、ダライ・ラマ法王の誕生日。御年75歳。
チベット仏教の最高指導者でありチベット亡命政府の長。
1950年、チベットを中国●産党の人民解放軍が制圧、
あれからちょうど60年の年月が流れました。

なぜ中国はチベットに侵略したのだろう?
チベットの地下資源や水源がターゲットだという話の他、
まず、中国●産党がどうやって誕生したのかを追うと
紐解けてくるところがあります。
そもそも共●主義はどこから生まれたのかといえば、
ルーツはロシア革命まで一気にさかのぼれます。

ロシア革命だけでなくフランス革命にも資金を提供した
団体の存在があり、それはロシア人でもフランス人でも
なく国を持たなかったので国境も関係ありませんでした。
「紙切れ」を使い、各国(の旧体制)を転覆させていきました。

では「紙切れ」の経済システムを作っていったのは誰

その彼らが関わったといわれるのは共●主義に限らず、
真逆の資本主義を作ったのも彼らな訳で、では一体、
彼らが目指す世界革命とはどんなもの?(一部紹介すると)

「国家法および国際法を利用しつつ、ゴイ●(非ユ●●人)
の文明を破壊しなければならない。我々に対してゴイ●
が武装蜂起する前に、恐怖の組織を諸外国の各都市に
組織していく。」(第25項)

こうやって、伝統的な中国やチベットの文化・信仰も
も破壊されてきたのでしょうか。

彼らのルーツの経典のひとつで63編の文書群の中には、

「●は●●●人にすべての方法を用い、詐欺、暴力や
脅迫、高利貸、窃盗によって●●●●教徒の財産を
奪取することを命ずる。」とあります。

これが本当だとしたら凄い事ですね…。
(日本の郵●貯金も注意したほうがいいかもしれません)

もちろん、そんなものには支配されない世界を望みます。
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2010.07.02

祈りの島[記憶]

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祈りの島といえば、沖縄では久高島とか。
僕のふるさとの島も、祈りの島と言われています。

長崎の離島で、本土とはまた風土が違う素朴さが残っている島です。

今でこそ、島では教会めぐりなどが観光の一部となって
島おこしにもなっているようですが、時代によっては
キリシタンは厳しい迫害を受けてきた島です。

元々は長崎大村藩と五島藩の政策で、大村の外海町から
五島の農地開拓の為に移住してきたのですが、その後、
幕府の弾圧は増すばかりで、明治の頃まで、
250年以上もの長い間、潜伏して信仰を守りながら
命がけで現代につないできました

そういう所以があり、祈りの島と言われています。

ぼくが育った島のふるさとの集落にも教会があり、
集落に住む人々の多くがカトリック教徒でした。

小さい頃、教会は学校みたいなもの、祈りも生活の一部で
特別なものではなく、ごくあたりまえの空気みたいなものでした。

僕が13歳の頃、地元の漁のお手伝いをしている時に、
漁師さんから聞かせてもらった何気ない話があります。

「いろんな宗教があるけど、山の裾野の村々のようなもので、
入り口の道も言語も風習もやりかたも考えも違うけど、
山頂は一緒なんだよ。」 と言われたのが
とても腑に落ちてスッキリした記憶が今も印象強く、
精神的な自由をもたらせてくれました。
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関連記事:
隠れキリシタンとの出会い
http://sansin.air-nifty.com/simauta/2009/08/post-7b44.html
かつて日本のクリスチャンは皆、隠れキリシタンだった
http://sansin.air-nifty.com/simauta/2009/10/post-b992.html
3日籠もる
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旧盆におもう
http://sansin.air-nifty.com/simauta/2009/09/post-040e.html

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