祈りの島[記憶]
祈りの島といえば、沖縄では久高島とか。
僕のふるさとの島も、祈りの島と言われています。
長崎の離島で、本土とはまた風土が違う素朴さが残っている島です。
今でこそ、島では教会めぐりなどが観光の一部となって
島おこしにもなっているようですが、時代によっては
キリシタンは厳しい迫害を受けてきた島です。
元々は長崎大村藩と五島藩の政策で、大村の外海町から
五島の農地開拓の為に移住してきたのですが、その後、
幕府の弾圧は増すばかりで、明治の頃まで、
250年以上もの長い間、潜伏して信仰を守りながら
命がけで現代につないできました。
そういう所以があり、祈りの島と言われています。
ぼくが育った島のふるさとの集落にも教会があり、
集落に住む人々の多くがカトリック教徒でした。
小さい頃、教会は学校みたいなもの、祈りも生活の一部で
特別なものではなく、ごくあたりまえの空気みたいなものでした。
僕が13歳の頃、地元の漁のお手伝いをしている時に、
漁師さんから聞かせてもらった何気ない話があります。
「いろんな宗教があるけど、山の裾野の村々のようなもので、
入り口の道も言語も風習もやりかたも考えも違うけど、
山頂は一緒なんだよ。」 と言われたのが
とても腑に落ちてスッキリした記憶が今も印象強く、
精神的な自由をもたらせてくれました。
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